富士山、余裕じゃん

〜2000年 夏休み旅行記 富士山編〜


  今年登ろうと思っていた富士山。そこに転がり込んできた富士登山企画に当然便乗した。8月14〜17日にかけて富士宮にある、友達の実家にお世話になった。夜に登って朝日を見ようという計画であった。これから始まる物語は、初めてと2度目という登山の初心者5人が、無謀にも雨天決行した富士登山と、その前後に起こった出来事に多少のフィクションが追加されたお話であり、実在の人物・団体等とは一切関係ありません。

  夜までに着けばいいや。そんなつもりで夕方、車を出してくれたナオキと、すでに車に乗っていたタンベりょう、目白で拾われた私(うっちゃん)の4人は、富士宮へ向けて出発した。高速は都内から順調に流れていたが、静岡県に入った辺りから急に渋滞。愛鷹S.Aで休憩した後は高速をおりるまで渋滞の繰り返し。外は暗くなってきて、空の色もあやしげに。この辺まで来れば富士山が見えても良さそうだが、見えない。なぜか富士I.Cでおりたのはウチらだけだった。ここでター君から電話。実はター君ママがバーベキューを企画してくれており、6時に予定していたとか。でも富士宮に着いたのは7時半。霧発生の電光掲示板を見つつ、電話で指示された道を走っていくとター君の原チャリとすれ違う。戻ってきたター君と感動の再会。ここに富士山制覇をめざす5人が集結した。

  ター君改めムトウに導かれてムトウ邸へ到着。予定よりかなり遅れたが、まだみんなバーベキューで待っていてくれたらしい。待たせ過ぎて気まずいかもと思いつつ東京からの4人登場。みんなって誰かって?それはター君ママとその友達、あと同じ職場の女の子4人(その中の一人まなみさんは以下で登場)。庭先でバーベキューを楽しみつつ、飯を食いまくる。すると、雨が降り出してみんなムトウ邸内に避難。室内で宴が開かれた。そして・・・。

  まなみさんにときめいた。彼氏はいるのだろうか。もう少し早くきていればもっとたくさんお話できたのに・・・。思い切ってまなみさんに携帯の番号をきいた。好感触。まったく警戒なしに教えてくれた。恋の予感。酒もまわりみんないい感じ。タンベは一番ぶさいくなコと二人の世界に入り始めた。他のみんなもまったりしているので、チャンスと思いまなみさんの瞳を見つめると、彼女もうっとりと見つめ返してきた。おっと、ハプニング発生!先ほどの激しい雷雨のせいかなんと停電になってしまった。まなみさんは「キャー!」と悲鳴をあげ俺に抱きついてきた!俺も周りが真っ暗になってびっくりしたけど、そっと彼女を抱き寄せ「安心しろ。俺がついている」と一言。するとまなみさんはそっと体をあずけてきた。
  しばらくするとムトウがろうそくをつけたので俺たちはハッとしてはなれた。さっきからの酒とろうそくの光でムードが高まってきた。いける!俺は確信した。みんなはウトウトしているし、停電もいつ直るかわからない。「チャンスはここしかない。行くんだナオキ!」心の中で俺は叫んだ。俺はまなみをさらに抱き寄せ、数秒見つめ合うと・・・。俺の中でどでかい花火が打ち上がった。その瞬間、俺は富士山制覇よりまなみを制覇してやろうと心に誓った。 (byナオキ)

  停電があったのは事実。雷とともに家中の電気が消え、30分ほどろうそくの火のみで過ごした。11時半くらいにはおひらきになり、登山のためにたっぷり寝るつもりだった。が、気分は修学旅行の初日。4時過ぎてもまだ起きていた。あいかわらず雨が降っていた。

  2時に起床。寝ないで登ることを考えたら、十分な睡眠がとれたと思う。でも天気はいまいち。霧雨だった。ムトウが高校時代の行きつけの店「とん太」でおそい昼飯。セブンイレブンで富士山での食料などを補給。水分も2リットルペットボトルを持ち、準備OK。やっと登りだせそうな雰囲気になってきた。富士山スカイラインはお盆の時期はマイカー規制とかで一般車両は通行止め。手前の西臼塚無料駐車場に車を置いてバスで五合目まで行くのが普通。タクシーもある。ウチら何も決まらないまま、とりあえず駐車場に向かった。
  富士山スカイラインへの山道は、上へ行くにつれて濃霧に雨がひどくなる。さてどうする?この天候の中をふもとから歩いて登るのは普通じゃない。ふもととは言ってもここでも標高は1000mオーバー。車中待機で作戦タイム。タンベがビックリマンを食べ、ナオキが「まつまつまつかなうかなうかなうそよそよそよ」と呪文を唱え終わる頃には方針が決まった。新五合目までバス!最良というか当然の選択だろう。車内で体力温存すること2時間あまり。夕方6時過ぎには雨も小降りになってきた。登る前のみんなの意気込みをどうぞ。ナオキ「明日も勝つ!」。ムトウ「ぼかぁノースリーブで頂上まで行けたら行きます」。タンベ「俺は富士山をナメテます。自然の厳しさを教えてください、Mt(ミト)富士」。りょう「富士山を完走してやる!」。うっちゃん「頂上で朝陽をバックにタンクトップ」。

  新五合目にバスが着いたのは夜7時半。日の出に合わせて頂上に着くように時間を調整。ここで夕食をとって、体を高度に慣らすためにも1時間半程待機。はっきり言って暇だった。一度は止んだ雨と霧もやはりひどくなって視界がかなりわるくなってきた。去年の岩木山のときもそうだったが、私が山に登ろうとすると天気がわるくなる気がする。

  15日の夜8時55分、新五合目出発。ついに富士山を登り始めた。予想どおり人は少なかった。こんな天気だったら普通は登らないだろう。真っ暗だったが、目が慣れてくると懐中電灯なしでもなんとなく周りが見えた。登山道も整備されていてかなり登りやすい。しかし、いきなりのハイペース。20分かからずに新六合目に着いてしまった。ナオキに声をかけるが、「返事がない。ただの屍のようだ」。ペースが速すぎた。にもかかわらず、ここからも雨と霧が悪化する中、ハイペースでとばした。人を抜くことはあっても抜かれることはなかった。ちょうど1時間で新七合目。“ちょっと山を知ったふうなおじさん”が「このペースだと早く着きすぎるなあ」などと言っているのを聞いたので、たっぷり休みながら行くことにした。
  天気は雨が降ったり止んだり、ガスに包まれたり晴れたり。のんびりと登ったはずだが、それでも他の人と比べるとかなり速かった。この高さからなら夜景が相当きれいなはずだが、ガスが晴れたときにたまに見えるだけで、残念だった。夜空も雲の切れ間から星がわずかに見えるだけ。ただ草木がないせいか、曇っていてもうっすらと周りが見えて、明かりなしでも登れそうだった。あるに越したことはないが。天気が良かったら最高の眺めなんだろう。標高がここまで高くなると息も切れやすかった。新七合目の次は八合目・・・かと思ったら、元祖七合目?!やられた。もっとやられたのが、新七合目にいた“ちょっと山を知ったふうなおじさん”。ウチらの後に元祖七合目に着いて一言。「ありゃ、八合目じゃない?!」。ご来光に間に合うのか、一瞬不安が頭をよぎるが、まだ午後10時40分。頂上までかかる時間を多め考えてもまだまだ余裕だった。頂上で日の出を待つのは寒すぎてイヤなので、なるべく下で時間をかせぎながら登った。元祖七合目からは合目ごとに40分ほどの休憩をとった。水分もおやつもたっぷり買い込んでいたので、全く問題なし。トイレも普通に使えたので心配するほどではなかった。

  日付が変わって16日の0時15分。ついに八合目到達。細かい休憩と適当なチームワークでここまで来て、どちらかというと登り始めより、肉体的精神的ともにいい感じ。でも聞くところによると八合目からがきついとか。確かに斜面も急になったような気がしたが、小刻みに休みながら登れば問題はなかった。一気に登って汗をかくと、引いてからが寒くなるので、賢い登り方としては汗をかかないように、こまめに休憩しながら登るのが良さそうだった。この時間になってようやく霧が晴れてきた。夜空には満月が見え、月明かりが照らす山の景色がきれいだった。「八合五勺目かも」と思われた場所が九合目でほっとした。九合目から九合五勺目まで30分、十合目までは60分らしい。1時半に九合目はいくら何でもはや過ぎだったか。寒さ対策でムトウ家のうさぎのようにみんな密集して温まった。ちなみにジュースの値段は350円、ビール600円、うな丼、カレーは1000円だった。

  頂上で朝陽待ちは寒さがきついと思われたので、なるべく時間をかけて登った。九合五勺目手前の休憩中にナオキが「富士山、余裕じゃん」。みんなそう思っていたかもしれないが、あえて口に出さなかった。まだ未知なる大自然の脅威が待ち受けているかもしれないから。この言葉、はたしていつまで言えるか。1時間かけて九合五勺目に到着。山の下の方を見下ろすと、懐中電灯の光が長い列となって連なっている。まるで何かの宗教で聖地に向かう行列のようだった。みんな何故頂上を目指すのか。それは「そこに山があるから」さ。後に続く列を見ると、ウチらはやはりかなり早めに登り始めたことがわかった。3時半に九合五勺目を出発。最後は一気だった。日頃筋トレルームを愛用しているスポーツマン集団のウチら5人は体力にものを言わせて登頂。心の中はみんな「富士山、余裕じゃん」。4時15分に頂上に着いた。ご来光は天候的にむりかもしれないが、わずかな可能性にかけて山頂を移動。ご来光がよく見えそうな場所はどこだ?うろつく5人。そして日の出。

  残念ながら雲やガスできれいには見えなかった。まだまだ富士のご来光はこんなもんじゃないはず。しかし、それでもすばらしい景色を見せてくれた。雲海とはまさにこのことだった。山の高さにつられてテンションも高かった。寒いなかでタンクトップ、ノースリーブ、上半身裸、半ケツ。間抜けなカッコウも富士の朝陽をバックに冴えわたる。日本一の高さを登った者のみが分かる、最高のひとときを味わった。

  2時間ほど頂上を満喫した後、6時56分に下山開始。一番高いところにもちゃんと行ってきた。きっと見事なご来光は今度来たときのお楽しみということなのだろう。富士山が「また来い」と言っている気がした。せっかく登ってきたのに下りなければならないのがつらかった。せめて違う道から下りるという案もあったのだが、富士宮からの新五合目に戻らないと車にたどり着けなくなるかもしれない。登るときに見られなかった景色を見ながら下りようということでもと来た登山道を下りた。ムトウ、ナオキ、りょうの3人は木の杖を持っていたのだが、これには山小屋ごとに焼き印を押してくれるらしい。夜は山小屋が閉まっていたからそんなことはわからなかったが。九合五勺目で焼き印をしてしまったのが事のおこり。すべての焼き印が欲しくなり、再び頂上へ行くことに。でも、みんなで行くわけがない。正確には今さら戻りたくない。しかし、3人分の杖を持ってりょうが1人で上へと走り去った。下りてきたのにまた登るなんて信じられん。しかも焼き印のためだと?!りょう、最大の見せ場。あとから追いつけるようなペースで九合目をめざしたが、猛スピードで行って帰ってきたりょうは九合目手前で合流。相当体力を使っただろうに最後まで大丈夫なのだろうか。
  じつは下りも思った以上に辛いことが発覚。ちょっと気を抜くと転ぶし、足は踏ん張りづらいし。ナオキはつま先を痛めて超スローペースに、タンベの靴はボロボロになってしまった。みんな1回は転んだのでは?まあまあ順調に下り続け、焼き印も順調に増えていった。この日は雨が降ることはなかったが、ガスがかって最後までろくに景色が楽しめなかった。高山植物は2,3種類、背の低いやつがところどころに生えていた。木々は六合目にはもうなかった。下りはホント早かった。ゆっくり下るのが大変なので、あえて速く下りてしまったというところか。新六合目から新五合目の間にハイテクトイレなるものがあった。「チップ制」と書かれており、「1人100円ほどのチップをお願いします」。残念ながら誰もトイレに行きたくはなかったので素通り。ネタ作りに行っといてもよかったか。12時2分、最後の力をふりしぼって、というよりは余裕たっぷりに新五合目まで戻ってきた。パンを食べて遅れていたナオキとりょうも12時17分に到着。多少のスリ傷等はあったが、無事に5人とも帰還。駐車場までのシャトルバスに乗ったと同時にみんな爆睡。気がついたら西臼塚駐車場に戻っていた。

  一晩かけて登った疲れで眠気がピーク。地上の酸素の多さに満足しながら、昼食後はムトウママが招待してくれた富士国際花園に行った。本来なら1000円かかるところをムトウママの権力で入場無料。中では紅茶も出してくれた。ここはフクロウとベコニアの楽園で、ウチらの間ではカラフトフクロウが大人気だった。そういえば、ここに来る途中にパラグライダースクールがいくつかあった。朝霧高原はスカイスポーツで有名なエリアである。

  ムトウ邸に帰宅すると、部屋は出発した日そのままの状態だった。山登りの荷物を片付けるかどうかのうちにみんな次々にダウン。畳とふとんの上に死体が転がっていった。ムトウ邸の風呂に入ったのは私だけ。みんな疲れてそれどころではなかったらしい。ムトウママが夕食を作ってくれたので少しでも手伝おうと思ったのだが、あまり役には立たなかったかも。食事が出来るまでみんな寝ていた。超大量の夕食をいただき、腹一杯で満足。おいしかった。テレビでやっていたサッカーの試合終了とともに、ウチらの行動も終了。10時にはおやすみ。

  富士山に登った次の日に朝からバイトを入れていたのはムトウ。ムトウママも仕事なのでウチらも8時半には出発しなければ。時間的にはたっぷり寝たはずだったが、やはり体に疲れが残っているような感じ。なかなか動き出せずに、ふとんを片付ける程度しかできなかった。結局お世話になりっぱなしでムトウ邸をあとにした。この場を借りて一言「ありがとうございました」。
  17日は、まず白糸の滝に行った。もう登ったり下りたりはイヤだったが、滝は予想どおり階段の下だった。初めて見たが、地層の隙間から水が流れ出る滝はなかなかのものだった。次にパラグライダーが飛ぶのを見ながら朝霧高原を抜けて、本栖湖へ。行った場所がわるかったのか、本栖湖は寂れていた。でも、わたし的には水辺に小さな魚やエビがいっぱいいたので、湖に入ったら楽しそうだった。今度来るときは網を持ってこなければ。ムトウはバイトでいないのですでに4人。私以外の3人はいまいちだったらしい。ちなみにここの地名は、有名な上九一色村だった。

  今度は河口湖。ここは観光地化が進んでおり、にぎわっていたが、本栖湖のほうが私好み。昼食に山梨の郷土料理、ほうとう鍋を食べた。きしめんみたいなうどんのようなもの。歯ごたえがモチモチしていておいしかった。お土産に毬藻を買った。昼飯を食べた店で猿回しの広告を発見。食後は富士お猿の里、河口湖猿まわし劇場なるところに周防の猿回しを見に行ってしまった。きっとどこからかウチらもまわされていたにいない。
  河口湖まで来たら富士急ハイランドはすぐそこ。さるの後はキングオブコースター、フジヤマに乗るべく富士急ハイランドへ行った。入園が3時半だったから、あまり乗れないだろうとは思っていたが、実際は予想以上に乗れなかった。フジヤマの列に並ぶこと1時間、突然の雷雨におそわれ、フジヤマは運転見合わせになってしまった。あまりに待たされ過ぎ、話すネタさえも尽きボーッと過ごし、最初に並んでから3時間が経過した頃にやっと乗れた。雨も止んで、夕立が空気をきれいにしたのか、フジヤマの夜景がきれいだった。そうフジヤマはどこまでも登っていった。そして下る。レールが見えない角度に下るのでびびった。めいいっぱい絶叫できたので楽しかった。さすがはキングオブコースター。これは癖になる。マジですごかった。

  帰りの時間を考えると遊園地でのんびりしているわけにもいかず。フジヤマしか乗れなかったが、まあ楽しかったので良し。夕飯を食べてから高速に入った。最初の電光掲示板には「東京まで100キロ」の文字。高速の合流地点でちょっと渋滞したが、1時間かからずに八王子I.Cまで来られた。結構早かった。高井戸I.Cで高速をおり、新宿でりょうと別れた。富士山の焼き印入りの杖が目立つ。あれを持って電車に乗ったはずだが、はたして周りの視線はどうだったのだろうか。私は行きと同じく目白まで送ってもらい、ナオキ、タンベと別れた。これで旅行が終わったわけでない。小学校の校長先生いわく、「家に帰るまでが旅行」である。はたして本当に富士山は余裕だったのであろうか。その答えはそれぞれの心の中にあるに違いない。夏休みが終わり、授業が始まればこれもまた夏の思い出。他人に企画してもらうとこんなに旅行が楽だとは思わなかった。たまには首謀者以外になるのもいいなぁ、と余韻にひたっていると、次のイベントを知らせる携帯が鳴るのであった。

おしまい

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