富士山、おそるべし

〜2004年 旅の軌跡 富士山編2〜


  夏休みの最初の日。社会人になってもその響きがうれしい。8月7日、0時。場所は沼津。駅で待っていたのは、すでに眠気に負けてる越前守。彼は私の貴重な山登り仲間。ありえない登山を繰り返すこと10回以上。常にいっしょにピンチに陥ってくれる頼もしい奴だ。今日から9連休。その初日は富士山。帰省途中の寄り道にしてはちょっと高過ぎか?この日の0時からマイカー規制があるのはスバルラインとスカイライン。それを避けて富士あざみラインというマイナーな道へ。コンビニでおやつと食べ物をゲット。自衛隊の演習地で爆撃をかわしながら深夜の富士あざみラインへ逃げ込む。観光客にはマイナーでも登山者にはメジャーなこの道。標高2000m、須走口の手前から路肩には駐車の列。登山口から1kmくらいは続いている。その列の最後尾に停める。もちろん5合目の駐車場は満車。うちらが寝ようとする2時頃。すでに出発していく人々もちらほら。まあ、とりあえずは寝ましょう。

  6時の目覚ましに起きるも、からだが起きない。ていうか寒い。寝ている間に、車の列はさらに伸びていた。8月8日、天気は晴れか?下界は曇りだが、すでに5合目は雲の上。いきなり目にする雲海に心躍る。素人からベテランまで幅広く登られる富士山。高いだけで十分な魅力がある。誰よりも高い場所へ。7時過ぎ、標高2000mの須走口からスタートした。

  1700m以上の高低差を一日で登るというのは、相当きついはず。晴天に恵まれているようだが、頂上は雲に隠れている。登れば登るほど天気が悪くなるのか?そんな心配がありつつも、早く雲海を見下ろしたいとの思いが足を速める。樹林帯を抜ける頃に6合目に到着。ちょうど1時間くらい。水の消費が多い。暑いけど、風は心地いい。富士山マジックによると、6合目の次は本6合目か元祖6合目か。久々に人の多い登山でにぎやかなのがうれしい。まだまだは先は長い。

  予想通り。本6合目、標高2700mに到達。7合目とのフェイントにだまされる人多し。かつては私もだまされて愕然としたもの。なかなか頂上に辿り着けないんだよ。越前守は自己記録の標高に早くもバテ気味か。酸素ボンベがあるのが心強い。越前守、使用するも効果があるのかなどうか実感できず。多分少しは効いたはず。7合目までは無難に到着。吠えまくる犬を見つつ、雨の気配。・・・。一気に降り出す。レインコートの登場。まだ7合目なのに・・・。

  雨に濡れて寒さが増した。それでも登るしかないわけで、トークもできず(越前守ダウンのため)に黙々と8合目。ここで燃え尽きたのが私。睡魔に負けた。しばらく眠らせてもらう。他の人が見たら、のたれ死んでいるように見えたっぽい。その間、越前守はこつこつと先を行く。「あとで追いつかれるから」とのこと。睡眠不足過ぎ。完全に寝ること30分。起きたときには自分の状況が把握できず。富士登山中だと認識するまで10秒くらいかかった。まじ寝。おかげですっきり。越前守も30分もあれば相当登れてしまう。いつの間にか雨が止んだ登山道を見上げるも、越前守の姿は確認できず。差をつめるべく、猛スピードで追い上げる。睡眠が効いたのか体は軽い。しかも酸素の薄さも感じなくなってる。何か調子いいみたい♪

  再び合流したのは、9合目過ぎたくらい?越前守、飛ばしすぎだって。30分もの差、そう簡単に追いつけるかっての。この辺からは頂上も見えてきた。辿り着くまで確信は持てなかったが、疑いつつも高まる鼓動。でもそれはただ単に酸素不足。振り返れば、何も思ってかひたすらに登ってくる人々の列。レインコートが色とりどりに褐色の山肌に映えている。鳥居をくぐり抜けて、つい辿り着いた富士山頂浅間大社奥宮。時間は13時10分。スタートから6時間が過ぎていた。登頂に沸く奥宮付近には、標高3700m地点とは思えないほど人だらけ。喜びを分かち合うのは、登った者のみが味わえる感動ゆえ。微笑ましい。

  しかし、まだ最高地点に辿り着いたわけではない。富士山の最高地点は標高3776mの剣が峯。時計と反対回りに火口をぐるり。人なんかいやしない。遠回りだからか?そう何度も来る場所じゃないんだから、ちょっとくらい寄り道してもいいでしょ。でかすぎる火口に自然の脅威を感じつつ、目指すは最高地点。8月とは思えない寒さの中、ついに踏んだ頂上。14時49分。わが人生、2回目の富士山登頂〜YA〜HAA〜☆越前守もついに制した最高峰に感無量。気力・体力も終了。

  最高地点はまだ1周の5分の3くらい。ここからの下りが、また結構大変。急斜面に、「転んで巻き込むなよ〜」と話かければ、後ろに居たのは知らない人。「すいません」、いえいえ「こちらこそ、すいません」。越前守、燃え尽きる。山小屋のベンチで3700mに辿り着いた人々を観察。トイレに列ができるとは、これも人気の証か。

  15時50分下山開始。2,3時間で下れるそうだが、山でこの時間に下山って、普通はありえないんだけど・・・。頂上から見下ろす下山道は急すぎ。ジグザグが延々と続いているようだ。砂走りと呼ばれる下山道はでこぼこの無い砂利道。燃え尽きていた越前守、復活。スキップちっくな越前守スタイルで一気に下っていく。マジで速い。私はバック走で追いかける。折り返しごとに止まれずにコースアウトしかける。やたらと速い二人に怪しげな者を見るような視線が注がれる。でも急ぐ。だって、この時間って山的にはかなり遅いよ?多分みんなそんな意識ないんだろうなあ。

  登りにかかった時間とは違い、ホントにあっという間の下山。それでも足は疲れてきたけど。復活の勢いも1時間も経過すれば再び燃え尽きる。砂走りが終わる頃には越前守の左足の爆弾が爆発。ここからが富士山の恐ろしさを知ることになる険しい道のりになろうとは・・・。砂走りの最後の方はそこら中に隠れた岩があり、躓いたり滑ったりの連続。離れた所に見える登山道からは元気な声が遠く聞こえる。

  ほとんど駆け下りてきたから、もうすぐゴールかと思いきや、そうでもない。雷が遠くから近づいてきて、雨が降り出したのは17時半くらい。せいぜいあと30分くらいだろうと、レインコートを着なかったのが失敗。雨はどんどん強くなり、あっさりびしょ濡れ。前後にまばらに居る人々もみんな似たような状況。逃げ込んだ山小屋は雨宿りの人々が30人くらい。300円のホットココアを飲んでホッと一息。ここから40分くらいで登山口とのこと。意外に遠いぞ。雨は止む気配もなく、時間はすでに18時過ぎ。薄暗くなり始めているここからの樹林帯、何か嫌な予感。

  越前守、完全にダウン。一足先に行って、車で登山口まで迎えに来ることにする。体力的にも時間的にももう限界でしょ。樹林帯に入って、雨は少しは凌げる。が、道は泥が滑って歩きにくい。しかも暗くてわかりづらい。これは非常にまずい。越前守を一人残したのは失敗したかも。道を見極めながら、トレイルラン。するとありえない場所から声が。「そこが登山道ですか〜?」ってあんたらいったいどこ歩いてんだよ?!先行する他のグループには、「そっちは道じゃないですよ!」と叫んで教える。ライトも持たない素人たちがそこら中でパニクってる。

  日没で足元はろくに見えず。登山道の目印はライトで照らしても見つけるのにひと苦労。そんな中で見事に登山道を見極める自分に驚いた。経験がものを言うのか、いい勘してるだけか。この場合、両方だとは思うが、気がつけば私の後ろに10人ほどの登山者の列。みんな私に付いてくるしかなくなったらしい。ペースを落とし、集団で下山。降りしきる雨の中、須走口に辿り着いたのは19時。もう真っ暗だ。須走口の小屋には辛うじて下山した人々が大勢避難していた。私は休む間もなく、車を取りにダッシュ。ありえないくらい残っている体力に我ながら感心だ。

  悪天候と日没。山の怖さを思い知らされた最後の数時間。越前守が心配だったが、やはり先導する人がいたとのことで無事下山。うちらが出発したときに、まだ山小屋に残っていた人々はいったいどうなるんだか。富士山おそるべしってとこか。冷えた体に温泉を。富士山頂に一番近い温泉、「天恵」で12時間の長丁場の疲れを癒す。さすがは日本一の山。簡単には終わらせてくれなかった。まあ何はともあれ、日本最高地点を踏破したことには変わらず。しかし、2度目の登頂もやはり標高3700mオーバーからの景色は見られず。これはまた登れってことか?また忘れた頃に登ることになりそうな予感をひしひしと感じる。夏休みの初日、達成感に浸りつつ、東京へと帰る二人でした。でもこれ、南アルプスに登る予行練習とか言ってなかったっけ?次があるんだよ。お楽しみに☆

おしまい

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