スペシャルかませ

〜1999年 夏休み旅行記 弘前編〜


  Ryuからの電話に、思いつきで突発的に旅行を決め、越前守と二人、18切符で弘前に向かうことにした。9月10日から2,3泊で、予定は適当というおおざっぱな計画であった。出発の前日、うちに泊まった福井と2時間ほど仮眠。そして、弘前編〜スペシャルかませ〜が幕を開けた。

  10日、朝5時10分、上野駅の始発電車に乗る。遠く果てしない道のりは、電車乗り換えの繰り返し。黒磯〜郡山〜福島〜一ノ関〜盛岡〜大館〜弘前と、とにかく電車に乗りまくる。爆睡して郡山で朝食、この駅からは旅の軌跡を残すべく、乗り換え駅毎に写真を撮り始めた。なんとここまで新幹線だと1時間20分だとか。力が抜けたが、まだまだ旅は始まったばかり。そして、再び爆睡して仙台、駅前だけ見物して次は一ノ関へ。12時51分、電車に揺られているとRyuから電話があった。「盛岡で17時49分発の電車に飛び乗る!」とのこと。Ryuは明後日、クロスカントリーの大会があり、その試走のついでに、うちらを迎えに来てくれるつもりだったらしい。が、電車と時間の都合でRyuの試走は消滅。一ノ関からの電車はなんとワンマンで手動ドアだった。そういえば一ノ関に来る途中、13時5分頃、今回の旅初の海を見かけた。ほんの一瞬で過ぎてしまったが、あれは松島だったと思われる。

  中3の修学旅行で以来の盛岡では、駅を出てうろついた。17時40分。ついにRyuたろー登場。久しぶりに会うRyuはまた一段と野生に近づいて…。自転車を持っての登場であった。しかし、まだ弘前は遠かった。大館の乗り換えは、終電に間に合うかどうか、きわどかったが、電車の爆走のおかげで無事クリア。この電車内で撮った三人の写真は、私的にはこの旅行のベストショットだった。最後は三人とも寝ているうちに弘前に到着。21時32分、朝上野を出てから16時間22分。超長旅、感動のゴール!

  私が訪れた最北の地、弘前。この時期の気候は東京と変わらず。考えていた以上に栄えている街で驚いた。駅から歩くこと25分。途中、「すきや」で遅い夕食、ようやく着いたRyuたろー宅はかなりいい感じだった。今日はさすがに疲れ果てており、久々の再会に積もる話をする間もなしに三人ともダウン。これが弘前の初日だった。

  11日、8時20分起床。夜は気にならなかったが、じつは家のすぐ裏側を電車が走っており、うるさくて目が覚めた。さて、この日は岩木山に登る予定。バスに乗るためにタクシーで弘前市役所前まで急ぐ。雲行きはあやしく、雨が降ったり止んだり。9時22分、バスで岩木山神社へと向かうが、岩木山は思ったよりも市内から離れていた。バスで岩木山神社に到着する頃には雨が降っていた。にもかかわらず登山道入口へ…。はたして無事に生きて帰ることができるのだろうか。ここからは冒険の書より、Ryuと私の「岩木山登山紀行〜スペシャルかませ〜」をどうぞ。

岩木山登山紀行〜スペシャルかませ〜

  岩木山神社でおみくじを引いて小吉が出た…。(全員凶なら登山中止!結果は、私>吉、Ryu>小吉、越前守>大吉)と、そんなことはどうでも良いのだが正直言ってあまりの天気の悪さに岩木山登山はとりやめるべきだと思った。しかし、残りの二人は山の恐ろしさをあまり知らなさそうだったので、内心「まあ良いわ!!」と思い登山を決行。7合目くらいの所にある山小屋までは非常につらかったが、ここで昼食を摂ってからは足取りも軽くなった。高い木も見られなくなり、雲につつまれた、岩と草と小低木の厳かな景色に変わった。晴天の時とは一味違った風景でおもしろかった。

  9合目に着くともう溶岩が露出してごつごつした険しい景色で気温も低く、確実に体温を奪われているのを感じた。オレは防水性の高いウェアを身にまとっていたので大丈夫であったが、残りの2名はずぶぬれで、後々寒さが襲うであろうと予測された。すまねぇのう。案の定、8合目のバス停に着いてからは恐ろしく寒かった…。3時間くらい寒さに耐え続けて家に帰り着いた…。しかし、この雨季の最中に雨にぬれながら登山をすることには大きな意味があるのである。それは風呂に入浴した瞬間に大いなる至福の時間を味わえることである。 (byRyu)

  朝から天気は曇り気味っていうか雨…。とりあえずビニール傘を買う。まさかこの350円の傘がこれほど役に立とうとは思いもしなかった。山登りの備品など何も持たず軽装でスタートした三人。雨が降りしきる神社の登山口をあとにしたのだった。

  序盤から、かなりの急な斜面を登らねばならず、大きな山に登るのが初めての私はいきなりビビリ気味。枝よけや、雨よけのために傘を差して登った。ときたま見かけるキノコをRyuが手にとって食べられるかどうかを判定。残念ながらドクっぽいのしか発見できず。山登りは大変だとは思っていたが、まだまだこれからが地獄であろうとは…。

  霧がかって見晴らしはわるい。しかも、自分らの通ってきた道もはっきり見えず。もうすでに疲れが出てきたが、まだ3分の1も登ってないとか言われて内心「Oh,no!」。少しは人とすれ違い安心したような気になった。が、下りてくる人しかいないのでヤバイと感じる。途中、山小屋に着くと、山登りに慣れているらしき地元の民に会う。彼は一人で来たそうだが、危なそうなのでここで引き返す、と言っていた。なのに、うちらは昼食をとってさらに先へ。

  ここからがまたきつかった。水が流れる崖のような道をよじ登る。霧に包まれて下の方はぜんぜん見えない。風も下から吹き上げてくる。こわくて後ろが見れん…。戻れないので上に行くしかないわけで、死に至らないようにガンバ。ちょーうまい湧き水を飲むが、この頃にはTシャツと傘の私はかなりヤバイ。だいたい傘差して登るのが不可能な道をここまで来ただけでも自分をほめてあげたい。

  登って下りて8合目のバス停まで4時間22分。これを書けたのだから、なんとか生きて帰れたのである。バス待ちのときトイレのストーブで体を温めたりもした。でも予想どおりというかあたりまえというかカゼっぽくなってしまった。こんな感じで山登りを楽しんだのである。これぞスペシャル…。

  12日、朝早くにRyuは出発した。今日のレース、アドバイスは「スペシャルかませ!」。残った二人は市内をうろついて、弘前城へ向かった。雨で使用不能になったマイシューズの代わりにRyuのサンダルを借りたのだが、足にフィットせず苦戦。越前守も同様。途中、商店街の外れ、小さな駐車場でみちのくプロレスが興行していた。

  弘前城は城だけあってなかなかに広く、外堀を越えてからけっこう歩いた。敷地のわりに小さい城で天守閣からの眺めはいまいち。越前守によれば「津軽為信の孫ぐらいの人がこの城にいたらしい」。昨日登った岩木山も頂上のほうは雲に覆われていて見えず。弘前城からの脱出に成功したうちらは「びっくりドンキー」に逃げ込んだ。

  20時頃、なんと銅メダルを持ってRyuが帰宅。見事スペシャルをかましたらしい。サークルの祝勝会に行っている間、うちらは夕食をまたも「すきや」で。東京ではあまり見ない気がするが私的には気に入った。それから戻ってきたRyuと友達二人、みんなでゲームしまくって寝た。

  13日、今日帰る予定。午前中をまったりと過ごす。午後、三人で市内循環バスに乗り、Ryuの通う弘前大にもちょっとおじゃました。いきなりでバスの切符が取れるかどうかちょっと心配だったが、問題なし。急にRyuも千葉に帰ることになり、東京へは三人で夜行バスの旅ということになった。最終日の夕食は駅のそばにあるファミレス。夜行バスは22時出発で翌朝7時頃に東京に着くとのこと。夕食後はバスターミナル付近のイトーヨーカ堂をうろつき、去年の夏、うちに泊まったとき以来の三人そろってのプリクラを撮った。夜行バス、ノクターン号はゆったりしたシートで毛布付き。ヘッドホンありのトイレありとなかなかのもの。初の夜行バスで東京は浜松町までの長旅。でも来たときよりは早い時間で着くというのがなんとも言えなかった。そして弘前を出発した。

  14日、朝6時くらいに起きる。バスでの睡眠はいまいち。寝たり起きたりであまり寝た気がしなかった。かなり突発的に決めたこの弘前への旅行であったが、18切符の使用という無謀な手段による電車の旅。Tシャツで傘をさしながら、雨と霧の中を登山。Ryuのクロスカントリー初表彰台。これらはまさしくサブタイトル「スペシャルかませ」にピッタリの内容だったと思われる。さて、次回スペシャルをかますのはいつになるのであろうか。それぞれの野望を胸に秘めつつ、早朝の浜松町をあとにする三人だった。

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