そして伝説へ・・・

〜2001年 夏休み旅行記 弘前編3〜


  3部作完結編を制作するべく3度目の弘前へ。百名山連続制覇と白神山地に挑む冒険記。多くの仲間とともに、物語は伝説になる・・・。

  9月18日、21時50分。越前守と合流。焼き鳥の香りも香ばしい巣鴨の宮下橋を出発。まずは国道4号へ。それから、ひたすら北へ向かう。ガソリンが少ないので夜通し走るためにも給油する。車のなかで2人のテンションは上がる一方。いったいこれからどうなるのか、何が起こるのか。

  日付が変わり19日。前回と同じセブンで最初の休憩。2人で弘前まで行かなければならないし、途中、何するかわからないし。体力を温存するためにも、越前守の運転に頼らざるを得ない。ペーパードライバー歴3年の越前守に運転交代。大丈夫なのか?不安だが、しかたない。長旅なので少しでも協力してもらわねば。那須高原では登り下りの繰り返し。越前守の運転もあって心拍数は上がり気味。平日の夜で、トラック多し。福島に突入した辺りは、見覚えのあるホテル名がならんでいる。3時頃に福島県内のファミマで休憩。越前守の運転も何とかなった。ここからは適当に蔵王に向かう。

  車がほとんど見られなくなった4時過ぎ。蔵王へと向かう山道に入る。越前守は爆睡。ブレア・ウィッチ・プロジェクトに出てきそうな森の中、気分は独りだった。車なのが少し安心だった。暗闇に光る眼を発見。2匹の野犬だった。真っ暗な山道は大変。眠かったが、何もない山中で休むのも怖い。かわいい彼女とならまあいいが・・・。必至に蔵王へ滑り込む。公衆浴場前の観光客専用駐車場に停めて、そのまますぐに寝た。5時前だった。

  朝8時頃、どうやら通学路だったらしく、登校する生徒が騒がしかった。通学時間がおわる頃に行動開始。最初のイベントはどうやら、蔵王山登りになりそうだ。刈田峠から蔵王ハイラインを通って刈田岳の近くのレストハウスへ。まずは刈田岳を制してから、頂上へ向かった。お釜はエメラルドグリーンの水で美しい。晴れている間に見られて良かった。というのも、頂上である熊野岳へ向かう頃にはすでに雲に覆われ、いつものパターンの運の悪さが炸裂していた。それほどの距離はないと判断し、視界不良の中、頂上へと行った。道中、人にはわずかに2組4人に会っただけ。しかも道を外れてきつい登りも味わった。頂上は雲中で全く見えず。長居せずにさっさと下りてきた。傾斜が緩く、歩くにはいいかも。出鼻をくじかれないように、気合いで登った蔵王山だった。

  蔵王と言えば温泉。登山の汗と疲れを流すために、大露天風呂へ。入口からいきなり風呂が丸見え。しかも露天風呂とのしきりは隙間がある簾。サービスのしすぎでは・・・。女風呂は残念ながらちゃんと目隠しがされていた。風呂から上がり、気持ちよくなったところで寝たいが、まだ道のりは長し。されに北へ。蔵王さらば。

  ひたすら走り、17時頃、どこだかわからんが金山町のファミマで休憩。再び越前守の出番がやってきた。いつの間にやら秋田県に入り、いきなり「トンネル貸します」の看板発見。山の中はほとんど車なし。順調に進んでいる。越前守の運転にドキドキしながらも、不覚にも爆睡。1時間くらい寝て起きたら、まだ車は無事に走っていた。よかった。完全な山奥に入る前に、夜に備えて大曲付近で給油と運転交代。今度は八幡平をめざした。そのうち夕食でも・・・と思っているうちに気がついたら山の中。食べそこなった。

  八幡平の麓、アスピーテライン入口で作戦の練り直し。夜中について一眠りし、日の出を拝むつもりだった。が、21時前についてしまい、しかも、夕飯も食べられず。結局は弘前へ直行した。山道はかなり走るのが大変だった。夜間の走行っていうのがきつさを倍増していた。やばい・・・と思った瞬間も数知れず。夜道に眼を光らせるキツネも発見した。

  見慣れた弘前の街並みを通り、ビックリドンキーにヘロヘロになって滑り込んだのは23時頃。やっと着いた〜。で、リュウとの再会は24時過ぎ。日付は20日になっていた。激しい疲労に越前守とともに2時過ぎには眠りにおちた。なぜかリュウもいっしょにダウン。

  11時40分。やっと起きた。3人そろって爆睡。だらだらと過ごしたつもりはないが、行動がとろくなっており、気がつくと時計は14時を回っていた。バイトのリュウを残し、ウチら2人は八甲田山へと向かった。15時発のロープウェーで山頂公園へ。時間が遅かったのと、天候の悪化で、連峰の最高峰への登頂は今回はやめといてやった。田茂やち岳の頂上らしき場所を制し、いくつかの沼を散歩して16時40分のロープウェー最終便で下りた。アオモリトドマツの芸術的なかたちが気に入った。帰りは温湯温泉という秘境的な温泉地に寄った。仮の共同浴場ということでかなり狭かったが、無料だった。街並みが昔ながらのもので、なかなか。

  リュウのバイトが終わるのを待って3人で夕食。初めての弘前で夕食にした「すきや」は懐かしささえ感じられた。リュウ宅へ戻ってからは明日からの準備に追われた。そう今回は世界遺産、白神山地での植林活動ボランティアに参加することになっているのだ。ガススタに行ったり、食料調達に行ったり。明日からの活動に備えて比較的早めに寝た。そして、おもいは白神山地へ。

  21日、7時、弘前大学前集合。6時起床のはずが3人とも目覚ましとのバトルに時間をロスし、あわてて出発。車3台で白神へと向かった。暗門という白神のほんの入口で休憩。ここからは林道砂利道10キロ以上。都会車のソアラは問題ないのか?ロードスターは?

  ロードスターがオープンにしたとたんに雨が降り出したのは笑えた。今回の活動場所への入口となるゲートで自己紹介。今回のメンバーはリュウ、越前守、私。弘大からコニー、ヤス、ミワ、伊藤、竹林、鶴見教授の合計9名。他にもいっぱいで合計40名以上とか。ここから入口。立入禁止のゲートを越えて、いざ白神山中へ。めったに人の立ち入ることのない山中を、話ながら歩き続ける。12キロほど歩く予定であったが、往復する車に徐々に回収されて人が減っていく。あと少しという所まで来てから越前守、コニー、ヤスを残して、車でベースキャンプへ。

  白神山地初日はベースキャンプ、テント村、水場作り等。特に作業はないのでのんびりムード。一部の人は夕食作りだったが、米を忘れたとかで、また街まで戻った人たちがいた。6月にも同様の活動を行ったそうで、ウチらはそのときの植林の状態確認にうろついた。携帯の電波も届かないので、電源はオフ。おかげで時間の感覚が全くない。何時だったかわからんが、夕食になった。米は間に合わず、大量の豚汁とつまみと酒。日が沈むと寒くなってきたので、熱い豚汁は最高だった。ここの標高は600mぐらいか。雨が降り出して、9月とは思えない冬並の寒さに。やばかった。

  あまりに食い過ぎたし、寒いし、早く寝ようかなと。テントに戻ったらまだ20時半だったが、寝た。最初に目が覚めたのは1時30分。寒さが増してやばいので、何も気がつかなかったことにして眠る。勝手に目が覚めたのは5時40分だった。1人用テントは、熱は上手く保ってくれているみたいだが、朝露や結露がはげしく、まわりはぬれまくり。岩木山初冠雪だったらしく、富士山にも雪が降ったそうで、寒いにきまっている。

  22日、白神山地2日目が始まった。日は照っているのに雨という変な天気。朝ご飯は米と豚汁とパン。今日帰る人たちは午前中早々に下山。教授他2名は結局飲みに来ただけとなってしまった。午前は雨が止んでから森に入って、切って放置してある杉を運び出す作業をした。切断と運送で結構大変。キハダなる木を大量にゲット。胃薬のワカマツ錠の味がした。まずい・・・。

  昼食に焼きそばとパンを食っていると、中学生軍団が到着し始めた。労力アップで、午後は班に分かれての作業。私は調査班。過去に植えたブナの状態調査。「ウォーリーを探せ」の木バージョンで大変。ブナの成長には長い歳月を要するようで気の遠くなるような話だ。

  切った杉は夜の火を確保するための薪にした。薪運びは、筋トレ気分。中学生は元気が良かったが、作業の方はどうだったのだろうか。夕食はカレー。中学生とコック長が作ったやつ。うまかった。夜はみんなの仕事の成果でもある、運びためた薪でキャンプファイヤー。寒いなか、火は暖かくてよかった。暖まっていると、さゆりが駆け寄ってきた。あまりの笑顔についつい手を広げて迎えてあげたら、抱きついてきたのでちょっと焦った。が、せっかくなのでめいいっぱい抱きしめてあげた。う〜ん、せめて中学生じゃなければねえ。

  火を囲んでの宴に、飲んで歌って語って、時が経つのも忘れていた。時間の感覚が本当に無くて、いい加減つかれてテントに戻ったのに、まだ22時くらいだったのには驚いた。テントの外ではリュウがトランプ魔となって中学生の女の子たちをおそっていたらしい。眠れずに0時頃起きると、火の見張りに任じられたリュウが、火から離れられなくなっていた。さゆりがまだ寝てなくて、星空の下、進路、恋愛、その他諸々の相談にのってあげた。冷え込む中、無数に輝く星空を眺めて肩を寄せ合うふたり。その上を星が流れていった・・・なんてロマンチックになるはずがない。でも、なかなか楽しい夜を・・・過ごしました。

  23日、白神山地最終日。作業は午前中のみ。新しく開拓した道と、その周辺の調査。しかし、道自体がそれほどできておらず、調査は進まず。9時開始も動き始めは10時。11時にベースキャンプに戻るはずが、山の上の方まで行っていたため、戻ったのは12時。今日帰る組はみんな出発するところで、昼飯を食べそこなった。パンを食べながら、最後方からみんなを追いかけた。ラッキーなことに、しばらく歩くと車が迎えに来てくれて、後ろの方にいる人から入口のゲートまで送ってもらった。みんなにはすまんが、ドライバーってことで、いいよね。

  ブナ林への入口、奥赤石ゲートに、みんなが戻ってきたら記念に集合写真。今日帰る組だけなので人数は少なめだった。最後になって、さゆりが「元彼に似てる」とか人のことを言うから、ついついかわいがってしまった。何かわずか2泊3日、中学生とは1泊しかいっしょにはいなかったのに、ずっといっしょだったような気がする。ちょびっと感動のお別れシーンのようなものを演じてしまった。いや演じたわけではなく、自然に涙が・・・出てはこなかったけど、良かったです。昼間いろいろ話をしたマキにはちょっと切ない目で見られてドキドキ。まだまだこれから。未来を切り開いてがんばってくれ。

  白神山地植林の帰り、車中で頼まれ住所を書いてしまった。あ、いや、別にイヤイヤ書いてません。是非出来た写真送って下さい。ハァ〜、でも、車の中で字を書くのはたいへんです。あと道がクネクネしてるから、よってしまいそう・・・オェ。2泊3日の旅行たのしかったですね。今度車にのることがあったら、脱出ボタンを必ずみつけて押させていただきます。(by満点の星空で流れ星を見ることができなかった少女)

  今度こそ酒をたちます。(by弘大最強を目指す男)

  白神山地から帰ってきてヤス、ミワとお別れ。彼らに次に会うのはいつの日か?ということで残った4人でつがる温泉に行くことにした。越前守はリュウのロードスターに乗って素晴らしい岩木山の夕焼けを見た。途中、話に夢中で道を間違えたりしたが、どうにかつがる温泉に到着。入浴料は300円でした。この値段には驚き。まず広い。一見銭湯みたいな感じであった。あついので露天風呂に入ることにした。外には水風呂(プールぐらいの温度)と普通の露天風呂と打たせ湯(実はお湯ではなく水。あやうくウスイにだまされそうになった)があった。そして本日のメインイベント、サウナ我慢大会。優勝は越前守、記録は11分くらい。2位コニー。3位ウスイ。その他リュウ(入る前からのぼせて入れなかったので)。お風呂からあがって気分も体もリフレッシュ。ということで飯を食うことにした。入った店は吉野屋(弘前には最近できたらしい)。牛丼です。そして弘大前でコニーとお別れ。(by越前守)

  22時頃、白神のイベントを終えた3人は布団の中。リュウは中学生の女の子に「おらの嫁になってけろ」とかたっぱしから声をかけていたらしい、といううわさ。眠りにおちる寸前にリュウとオセロ勝負。さゆりにはまっておかしくなったリュウに、なぜか連敗。そして力尽きた。

  24日、8時40分。弘前最後の日が始まってしまった。そして岩木山スカイラインへ!岩木山リベンジが果たせようとは思いもしなかった。このために東京へ戻るのが遅れるが、問題ないかな。出発直前にコニーがもぎたてのブドウを持ってきてくれた。車で出る寸前だったので本当に感動的だった。

  今日は東京に残されている心の友のために青森の山の恵みを持って帰ることにする。それは岩木山山麓で栽培された「だけきみ」とリンゴである。岩木山で昼夜の寒暖差があるなかで生育した「だけきみ」とリンゴはとても甘い。「だけきみ」とはなんだ?と思うかもしれないが、それは見てからのお楽しみ。(byリュウ)

  岩木山に登り始めたのは11時ちょっと過ぎ。リュウは卒論で岩木山のことをやっているのであきた、つかれたということでウスイと越前守で登った。9合目までは以前に下りたことのある道なはずだったが、前回は雨の中、はやく下りたいという気持ちだったので、全く覚えていなかった。さらに元気だと思われた越前守は実はかなりの疲れをひきずっていたらしく、調子があがらない。そうこうしているうちに、前回頂上まで行けそうで断念した分かれ道へと到着。そして「前回断念してよかった」と痛感するのである。そう、あの時は頂上がどんなところかまったくわかっていなかった。さらにいえば平坦な道が続くのかとさえ思ったが、上には谷川岳に劣るか同等、いやそれ以上の岩場。岩木山を上から順に見ていくと、岩があって木があって山?とそんな単純な名前のつけかたなのかは知らないが、とりあえず山を登る、登る、登る。そんでもって11時56分岩木山完全制覇!頂上で写真とおやつタイム。今頃リュウは何をしているのか。きっとさゆりのことを考えているにちがいない。ということで一気に山をおりた。9合目からウスイにおいていかれた。前回ほどのスピードは全然出なかった。約5分遅れで到着。岩木山スカイラインを下りきったところで「だけきみ」を買って食べた。甘みもありなかなかでした。そして弘前に到着。(by越前守)

  「だけきみ」とはとうもろこしでした。岩木山からはハング・パラが飛んでおり、一機は山頂(1625m)より高く飛んでいた。山登りで終始天気に恵まれたのは初めて。当たり前かもしれないが、晴れの日の山登りは最高だった。予定より大幅に遅れたが、15時半頃、弘前を出発。再び東京への長い道のりが待っていた。そして八幡平で夕焼けを見るべく先を急ぐのであった。

  渋滞こそなかったが、途中、自衛隊の輸送車に行く手をはばまれた。荷台には少なくとも12名の人が携帯やウォークマンでくつろいでいた。信号で間がつまるとじろじろ見られてやな感じ。ペースが狂うのでコンビニに逃げ込んだ。すると後方から続々と自衛隊車両がやってくる。このまま山へ行くのかと不安になる頃「きりたんぽ秋田美人」の駐車場へ曲がっていった。なんとそこには20余台の車と少なくとも100名以上の隊員が・・・!いったい何が?みんなできりたんぽか?謎である。

  予定より遅れて着いた八幡平は雲で覆われて視界わるし。日も沈んでしまい、わずかに明るい空が山の向こうに見えただけだった。八幡平の駐車場やレストハウスはすでに営業時間外。越前守のメガネ置き忘れさわぎもあり、八幡平で18時を回ってしまった。山から下りるとソアラ1台が真っ暗な駐車場に停まっていた。この旅行、ラストを飾る温泉は八幡平温泉館森乃湯。露天風呂で夜空を見上げながら、一路東京へと思い、最後の力を振り絞るのだった。

  越前守の運転も当初よりすこしはましになり始め、こわいながらも疲れで眠らざるをえなかった。夜中、越前守が走り続け、25日の4時頃、最後の運転交代。ついに関東に突入した。ずっと山の中を来たせいか、関東平野が本当に大きな平野であることが実感された。日の出を背に、東にそびえる筑波山もなかなか雄大だった。6時を過ぎると通勤ラッシュで大渋滞。帰ってきたという感じとともに、最後のハードなドライブが待っていた。総走行距離1775.6キロ。燃料のガソリン約170リットル。やたら忙しかったが、とても充実した旅だった。

  本州の北の大地、弘前を舞台に繰り広げられた物語は、多くの人々に無数の夢を抱かせて、白神の大自然をラストに終わりを告げた。いつの日も繰り返す出会いと別れ。切なく、悲しく、でも素晴らしく。忘れることのない思い出を胸に、みんな明日へと歩き出す。ひとつの物語のおわりは、次の物語のはじまり。時の輪が重なるとき、再び3人は集うだろう。そう、“すぺしゃる”をかますために・・・。そして伝説は始まった・・・。

おしまい

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