悩み多きゼミ合宿

〜2001年 夏休み旅行記 本庄編〜


  夏休みの最終週、ゼミメンバーからの電話で合宿があったことを思い出す。夏休みの終わりにまだこんなものが残っていたとは。あやうく忘れるところだった。いや、忘れていた。場所は本庄のセミナーハウス。どうせお勉強がメインだから、どこでいいが、せっかくだからもうちょっと遠くへ行きたかった。

  初日、13時集合の14時はじまりだったような気がする。「本庄、近いだろ」といつもの感覚で、高速を使うまでもないと3時間はみて、10時に馬場集合。そして見事遅刻。だって渋滞が・・・。すいません、あきらめて途中、昼飯食ってました。いつもの足尾行きの感覚でいたが、17号は混んでいた。巣鴨からひたすら本庄までこれ一本で通じている。着いたのは何時だったかな。

  先に発表を進めてくれ。そして、できるだけ時間をかせいでくれ。こう祈りながら、予定より大幅に遅れて本庄のセミナーハウスに到着。おっとまだ始まってなかった。いや、始めようがなかったというべきか。3年の11人中5人がいなくてはやりようがないか。先生がいないこともあり、問題なくお勉強開始。夕食までの2時間ばかりで、3年の発表を済ませる。先生がいないと厳しいつっこみもなく、ラクに終わっていた。授業のときとはえらい違いだ。ずるい・・・。

  夕食後は、お勉強はなし。だって先生いないし。無理することもないし。そして腹一杯のまま、休む間なく飲み会になってしまった。20時頃から始まって、先生が着いたのが22時前。本庄駅まで迎えに行って、それからまた飲み会は続いた。一番遅くまでいた人たちは5時頃まで飲んでいたそうだ。

  翌日、睡眠時間がほとんどないまま、8時に朝食。時間通りに食堂に現れた人はほんの数人。当然のことながら4年生の発表が始まっても、まだ教室に現れない人がいた。まあ30分しないうちにみんなそろったけど。午前3人、午後2人と、間で昼食をはさんで4年生の卒論途中経過発表が続く。なかなか興味あるものもあれば、・・・というものもあり。お勉強でした。

  夕方は発表を夕食後にまわして、自由時間になった。みんな体育館でサッカーにバスケ。汗をかいた後は、近くの温泉に行った。私はちょっと本庄の丘をうろついて、テニスコートへ。久々にテニスをやった。宿に残ったメンバーは、セミナーハウスの風呂に入った。夕食後は、また2人の発表を聞いて、そのまま飲み会へ。

  2日目の夜はちょっと忘れられない夜になってしまった。ラブリーな先輩をつかまえて、飲み会が始まる前にちょっと真剣なお話。この夏、最後の方は、いろいろと考える時間が多く、考えれば考えるほど、ホントどうしようもなくなってしまった。たえられなくなって泣きついたといったところか。よりによってこんな情けない姿をさらしてしまったのは、不覚だったと思うが、相手してくれて嬉しかった。ありがとう。おかげで少しはすっきりした。

  「飲み会が始まるけど・・・」と、先輩が呼びに来たが、みんなには上手く言っておいてくれたみたいで、こちらにも感謝。おそるおそる部屋に忍び込んだが、もうすでにみんな酒がまわっており、特にどうということはなかった。 2日目の夜は、壮絶な果たし合い。アルコールに飲まれて、つぶれる者、続出。端から見ていても壮絶な最後を遂げる者が多かった。私はというと、疲れきって早めにダウンしていた。気がついたら布団が掛けられており、飲み会は終わっていた。部屋のあちこちに、その凄まじさを物語る人々が倒れていた。せめて朝までは寝ようと、5時過ぎにそのまま眠る。

  3日目の朝は、朝食の時間になっても、全然起きてこなかった。ちゃんと時間に現れたのは5,6人か。私もあまり食べる気がしなかった。朝はバイキングなので適当に果物だけ食べた。何とかお勉強の時間には、遅れながらもみんな現れた。最後の発表を、ほとんどうつろな状態で聞き、なんかしらんが個人的に密度の濃かった合宿は終わりを告げた。帰りはみんな適当に車なり電車なり。もう疲れていたので、高速で一気に帰った。合宿でみんな仲良くなった、と思う。先輩達とも同学年とも。

  いったい何がしたいのか。これからどうしたいのか。行き詰まった果てに、悩んで、それでも答えは見つからず。去年の夏の終わりに見た夢は、今年の夏の終わりに見失っていた。夏休み後半は、本当に考える時間が多かった。考える時間の多いゼミ合宿はタイミング的にきつかった。何も見えてこないまま、容赦なく休みは終わりを告げた。みんなはこれからどうするのだろうか?

おしまい

inserted by FC2 system