吹雪かれる戦士たち

〜2000年 春休み旅行記 石内丸山編〜


  かなり前から行くことは決まっていたのだが、なぜか計画が煮詰まらずにいた今回の駿台メンバーでの旅行。スキーかスノボーを楽しもうということにかわりはないのだが、メンバーがなかなか決まらず。駿台メンバー突然のアクシデントにより、前日に越前守に声をかけた。メンバーはtea、たけし、臥倶、越前守と私の5人。

  初日、前日から泊まりに来ていたたけしとがんばって起きた。あまり寝てない気がするが、新幹線の中で眠るつもりだったので気にしないことにする。用意が出来て、後は臥具が自転車を置きに来るのを待つのみ。そろそろ家を出る頃かなと思い、電話をしてみるとなんと「今、起きた」とのこと。電車に遅れる〜。やばいので家を出て駅で待つことにして、慌ただしく出発。途中で臥具から電話があり、「車で巣鴨まで送ってもらった」なんて言う。うちらもダッシュで駅へ。買物をする間もなく電車に飛び乗って上野へ。teaからも電話で「どこにいるの〜?」。越前守も探さなければならんのに、時間はないしいきなりピンチ。が、新幹線の改札前に越前守は待っており、すぐにteaも登場。なんとか間に合い、新幹線のホームへと長い長いエスカレーターを下りて行く。それがまた思ったより時間がかかり、ホームへ着くとすぐに新幹線が入ってきた。東京発だったが平日月曜日の朝だけあって、かなりすいており、あっさり席をゲット。越後湯沢へと向かうのであった。乗ってから気が付いたのだが時すでに遅し。喫煙車でけむっ。車両を確認する時間もなかった。
  電車に乗ってしまえばあとは時間通りのはず。寝ていたような気もするが、90分ぐらいがあっという間に過ぎ、越後湯沢に到着。キャビン(今回泊まる宿の名前)に電話しようとして携帯を取ると画面にRmの文字が表示されている。なにっ?とか思う間もなくローミングの表示であることを教えられる。他社のアンテナを利用しているやつらしい。メールが使えないのが不便。とりあえずキャビンに電話、駅を出て待つことにした。迎えのバンが到着するまでの15分、たけしはお金をおろしにどこかに行っていた。おろせて良かったね〜。キャビンに行く途中、別の店で臥具とたけしはスノボーを借りた。キャビンではまだスノボーのレンタルはしてないらしい。駐車場からキャビンに行くまでの上り坂が毎度のことながらきつい。滑ってくるスキーヤーを避けながらっていうほどではなかったが、ゲレンデを少し横切って、最後の心臓破りの坂。重い荷物を担いでただの靴だとかなり疲れる。そして3年ぶりのキャビンに到着。気持ちはすでに滑り始めていた。
  さっき登ってきたキャビン前の坂を、いきなり滑り降りた。久々なのに準備運動も忘れて滑ったせいで関節にきた。が、そんなこと気にせずリフトへ向かった。毎度のことながら、やはり最初は緩いとこで慣らした。これがまた思うようにスキーが動いてくれず、久々だというのを実感させられた。とりあえずお昼まではキャビン近くで滑って練習。スノボーの2人は、この前ザウスでやったばかりだからかなりいい感じらしい。滑り始めたのが11時ぐらいだったからすぐにお昼。キャビンで田舎鍋うどんしょうゆ味を食べた。たけしは3日連続で田舎鍋うどん3種類しょうゆ味、みそ味、カレー味を食べることになった。食後の休憩で部屋に戻ると、マンガにハマってしまった。キャビンにはなぜかマンガが大量にあって、それらに引き寄せられてしまうのだ。まあ初日はまだ元気だし、滑る気ありまくりなので、それほどハマらずに済んだ。
  午後は4時くらいまで滑りっぱなし。平日のせいか、人があまりいなくて滑りやすかった。行ったことがある人はわかると思うが、石内丸山はとにかく広いので、どこを滑ったかなどは忘れた。戻ってきてすぐにお風呂、出たら夕食。6時前だったが、腹が減っており、鉄板焼きを食べ尽くす。他の客はというと、一組だけいたが、うちらの夕食の勢いに存在がかすんでいた。食べたら寝る…。みんながお風呂に入る間、疲れもあって寝ていたかも。夜はトランプ、マッサージ等でだらだら過ごし、朝早かったのと疲れから、12時ちょっと過ぎには寝た。

  2日目、7時半の目覚ましで起きるが、ふとんの中でゴロゴロしている。すると45分くらいに「朝食の用意が出来ました」。なにっ!?朝食は8時のはず。まあ出来たというのだから起きてゆく。朝食にパンは久々。紅茶も3杯ほど飲んで満足。そして部屋に戻ってまた寝る…。と、なりそうだが、ウェアを着て準備OK。昨日の夜、気がついたのだが、キャビンでの昼食は、朝、出かける前にオーダーを出しておくといくらか割引になるとのこと。鍵といっしょに昼のオーダーを出して、いざ出陣。
  午前は晴れており、滑っていると暑いくらい。2日目になってカンを取り戻したか、かなりいい感じになってきた。昼食後、teaはお疲れのようでダウン。臥具も疲れ気味らしく長い休憩。スノボーのたけしを引き連れて、越前守と3人、まだ行ってないコースに向かう。私の記憶的にはかなりきつい斜面だったと思われる難所に、たけしと越前守を引きずり込む。山の中腹なのに、眺めはすばらしかった。しかしすぐに急斜面が…。この前の越前守ならビビったであろう斜面を、彼は難なくクリア。いつの間に上手くなってしまったのだ。たけしが心配だったが、問題はなさそうだった。どうも狭い気がすると思ったら、隣にハーフパイプが出来ていた。そのせいでコースが微妙に狭くなっていた。
  たけしが問題ないなら、さらに上級コースへ。石内丸山の特徴で、なぜか下に行くほど傾斜がきつくなる。気がつくと私もひるむほどの斜面に来てしまった。半分は誘導気味だったが。たけしにはすまんことをしたが、なんとかクリアした彼のレベルは間違いなく上がったことだろう。雲行きがあやしくなってきた頃、3人で頂上に押しかける。雪が降り出し霧がかる中、今回初のメルヘンコースなる迂回コースに行った。そしてコースアウト。いきなり旗が目の前に現れたのでビビった。視界が悪いときのメルヘンコースはとても怖いということで3人の意見が一致。夕方、吹雪いてきたところでたけしはキャビンに戻った。もうひと滑りと思って残った越前守と二人、風と雪に翻弄され、体力をめちゃ消耗。一足先に戻ったたけしがいいタイミングだった。
  4時ぐらいにキャビンに逃げ込むが、力尽きて夕食まで寝ていた。初日に続いて、夕飯はみんな食べまくる。使ったエネルギーを取り戻したところでまた寝ちゃいそう。お風呂とマンガとトランプで、寝るまでの時間をだらだら過ごした。まわりを見るとマンガを手にこたつで眠るたけし、ふとんで潰れている臥倶、マンガにハマる越前守、teaは部屋に戻って爆睡。時刻はまだというかすでに1時だった。

  3日目、隣の部屋の目覚ましで起こされる。壁が薄くて音が筒抜け、しかも壁の隙間から隣の明かりがもれていた。寝ぼけて、鳴ってもいない自分の目覚ましを何度も止めてしまった…。快晴の午前中、スキーの3人はそこらじゅう滑りまくる。人が少なくて快適にとばせた。やはり直滑降でのスピード感は最高だった。午前最後にせっかくだからと、急斜面ジャイアントコースを滑る。きつい斜面だが、ここを滑りきったときの達成感が最高である。これが効いたのか、昼食後にteaはダウン。部屋でのんびりするらしい。残り4人は頂上へ。メルヘンコースをバトルしながら、上から下まで滑りまくる。3時ぐらいにスノボー2人が先にダウン。最後は越前守と時間いっぱいまで滑った。キャビンに戻ると用具置き場は、うちらのものだけになっていた。もう一組いた客はこの日で帰ってしまったらしい。夕食は鍋。ジャーはうちらだけのものとなっていたため、すべて食べ尽くした。満足して部屋に戻り、しばしの休憩の後、越前守を除く4人で散歩に出かけた。
  ナイター営業されている斜面をただの靴で滑った。この場合の滑ったはホントに滑ったという意味。ふもとのコンビニらしき店に寄り、脇道へ。そこで見たものは、顔に似せた大きい壁。帰りは雪山登山になってしまった。キャビンに戻ったら、お風呂。早く入りたかったし、他に客はいなかったので、teaの許しを得て、女湯に入らせてもらった。いっしょに入ったわけではないけど。男湯より狭いがきれいだった。みんなが風呂に入り終わったら、夜お決まりのトランプと百人一首をしまくった。最後の夜は、3日目までの疲れのせいで、12時過ぎにはみんなふとんに埋まった。もしかしたら、マンガにハマってかなり起きていた奴がいたかも。

  4日目、微妙に暖かく、雪ではなく雨。滑り心地わるし。そのうち太陽が出てきて、お天気雨になった。なんか春一番だとかで、風が強かった。最後の日は、みんな疲れで動きが鈍く、緩い斜面でのんびり楽しんでいた。しかし、私と越前守は、石打最大の難所、国体コースを攻略せねばということで、悪天候になりつつある中、リフトで上を目指した。そしたらとうとう強風のせいでリフトが止まった。宙ずりで雨に打たれること数分、リフト復活。国体コースの入口に着いた時には、雨風がかなりヤバかった。途中余裕があれば、写真でもと思っていたのだが、風を受けながら滑るので精一杯。落下防止用のネットの向こうに街並がかすんでいた。安全に滑ってなんとかクリア。越前守と国体コースを制した。傾斜よりもコースの狭さに苦しめられた気がする。これで石打丸山全コースを走破。たっぷり滑って満足した。
  強風のため一番下のリフト以外は止まってしまったので、ちょっと早めにキャビンに戻った。昼食後、またも女湯でシャワーを浴びて、帰り支度。帰りはガーラ湯沢に送ってもらった。強風のためガーラも営業してなかった。ガーラに来た人は別のスキー場に振り替え輸送だって。電車の時間まで1時間ほどあり、のんびりお土産選び。そこで食べたコシヒカリアイスがおいしかった。越後湯沢ではなくガーラ湯沢にしたのは、座れるからという理由だったのだが、客がほとんどいなくて新幹線もがらがら。乗った車両にはしばらくの間、うちら以外に誰もいないという状態にもなった。越後湯沢で少しは人が乗ってきたが、まだまだ席は空いていた。これならガーラでなくてもよかったか。  電車内では4日間の疲れで、すぐに眠った。気がつくと熊谷を出たところ。帰りも早かった。

  そして上野に無事戻ってきた。が、まだ終わったわけではない。小学校の校長先生曰く、「家に帰るまでが遠足なのです」。疲れと眠気で、円陣を組む間もなく、流れるように解散。それぞれの家に向かって最後の力を振り絞った。しかし、心の中では、みんなこう思っていたはずだ。「ぜひ来年もこれくらいの日程で雪とたわむれたい」と。仕事帰りの人々であふれる上野駅にスキーの荷物を担いだ5人が浮いていた。

なお、この物語は一部内容の異なる部分もあるかもしれませんがイメージとしてはこんな感じです。

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