エベレスト・トレッキング

〜2007年 旅の軌跡 ネパール編〜


【旅のミチシルベ】
◆日程・・・3月3〜11日。
◆目的・・・エベレストを一目見る。
◆コース・・・関空〜カトマンズ〜ルクラ〜ナムチェ〜エベレストビューホテル〜往路を戻る。
◆宿・温泉・・・臨海ホテル北店3700円、International guest House、STAR LODGE、HIMALAYAN LODGE、クーンブリゾート。

【旅の軌跡】(※紺字・・・かずえ

3月3日

  仕事後にあわてて荷造り。忘れ物が無いか不安だ・・・。予定通りの電車に乗れたので、とりあえずは大阪へ。大安発19:25、近鉄と南海を乗り継いで、湊駅の臨海ホテルへ。難波駅で迷った。完全にアウェーだ。南紀アが電鉄だと知らず。これはカトマンズでも迷うに違いない。チェックインして飯食ってネットやって24時。出国前日までドタバタだ。メールでは先にネパールに着いたかずえから「とんでもない国だ」との知らせとともにありがたい情報がいくつか。「カトマンズの空港には入れず、外で待つ」、「free visa左から3番目のライン」、「泊まりはInternational guest House」とのこと。覚悟の出発メールをみんなに送っておやすみ。

3月4日

  7時起きで関空へ。「2時間前には搭乗手続きを」って受付開始は2時間半前から。空港で待ちすぎ。散歩してしまった。旅行へ行く人とトレッキングor旅に出る人の格好の違いが面白い。私はこのでかいザックで間違いなく後者に見られている。ザックにたっぷりとつけた鍵を見て笑っていた。ビザ用の用紙に記入完了し、搭乗待ちでやっと落ち着く。さあ行こうか。っていきなり飛行機遅れてます・・・。

  ロイヤルネパール航空RA412便、関空発11:40の予定から12:10、takeoff。ちっこい飛行機だ。ビジネスクラス4席、エコノミークラス6席、通路は真ん中に一つ。まさかこれでヒマラヤを越える気じゃないだろうな。空からの景色は最高。上空4000mくらい?雲の上って以外はパラから見る景色とあまり変わらず。

  日本時間14:55、上海13:55、カトマンズ→加徳満都と書くらしい。眠くて、飯食って寝てしまい、気がついたらトレーも片付けられていた。雨で微妙に寒い。英語が聞き取れない。おばさん1「なまりがひどいわね」、おばさん2「なまってなくてもわかんないけど」、だよな。フライト時間は上海発15:00で待ち。上海経由だったとは、乗る直前まで知らず。航空券に書いてあったか?!ネパール一人旅多し。女の子の一人旅もすごい。ネパール人にうざいくらい話しかけられてたけど。ニノミヤリカ(偽名らしい)さん、一週間でカトマンズとポカラに行くそうだ。

  上海時間14:50、搭乗。雨は弱いけど、風がすごい強い。飛べるんだよね・・・?トランジット中に聞いた、香港ドラゴン航空。何か強そう。加徳満都まで飛んじゃって。

  上海時間のままだけど、18:45、本日二度目の機内食。ごちそうさまでした。その前におやつも。おやつの前まで爆睡。窓の外は雲海だったり、すっきり晴れていたり。相当山奥を飛んでいるのは確かだ。地球の歩き方、熟読。カトマンズは十分チェックして飽きた。ネパール語は覚えられない。

  カトマンズ着19:05の予定が実際に何時だったのかは覚えてない。初めての後進国で英語圏じゃなく、飛行機から降りてとたんに異国情緒たっぷり。しかも夜。フリービザであっさり入国、空港を出るのがまさか一番最初の一人になるとは・・・。こうなってはもう主役の登場並の歓迎で、ネパール人からの熱烈な客引きの荒らし。そんな中、最初に出たことでかずえがすぐに見つけてくれて、あっさり合流。タクシーで迎えに来てくれていたので、無事車内に逃げ込んでほっとしたのも束の間。笑うしかないネパールの交通事情に唖然とし、ホテルへ。シャワーの都合だか何だかで部屋を変えてもらったり、かずえはかずえでいろいろ大変だったそうだ。ネパール、恐るべし。そんな到着初日。

3月5日

  6:25、カトマンズ空港国内線、イエティエアライン、21人乗り。有視界飛行とのこと、飛べるのか?!空港着は5:40くらい、空港が開くのは6:00、フライトは6:30!?あやしい。空港利用税?料金?169.5Rs/人。大したセキュリティーもなく通過。お願い、無事に飛んで。

  6:35、”Yeti Airline”名前が怪しい。5:30にはAIRPORT集合・・っても6:00まで開かないんですが。仏代表、英代表、ノルウェー代表。皆とっても強そうだ。日本代表、チビ×2、弱いなサポーターも弱そうだ。AIRPORT内はしょぼい。何の表示もアナウンスもなし。まあこの国にしたらTVがあるだけですごいんだろうな。WCは難易度高し。WC Problemは多分この先もずーっと続くんだろうなあ・・・。うーん、女の子は大変だ。空は霧が出ている感じ。飛べるのかな。微妙そうだ。眠くなる。

  イエティエアライン、よくやった。飛んだ!雲とルクラの天候が気になるけど、とりあえず飛んでよかった。

  Yeti!21人乗りのひこうき、超怖え〜。久々に飛んでる感覚を味わえた。有視界飛行だって。雲ばっかりでどうやっておりるんだろう。

  ルクラ無事に到着!滑走路が短すぎることにSurprise。KIXからケンゴが一緒だったT巳さんと、そのガイド、ティレ・シェルパさんとナムチェまで同行させて頂くことに。さて、トレッキングの始まりです。どーなるんだろう??

  ルクラの空港でガイド・ポーターを名乗り出る現地人が大量に押し寄せる。ロイネパで隣の席だった日本人、T巳に便乗することに。T巳さん、ありがとう。ガイドのティレさん、かずえ、私の4人パーティでトレッキング。あくまでウチらは勝手についていく二人くらいな感じで。T巳さんに感謝だな。もちろんティレさんにも。

  ルクラからパクディンへは、畑が広がる山あいの道。家が点在し、ここが登山道ではなく、生活道路であることを実感する。エベレスト街道とはよくいったものだ。40分ほど歩いたところでランチ。数軒の小さな集落で、ポーターも休憩に足を止めていた。立派な角の牛が荷物を背中に乗せて行き交い、こんな山奥でも子犬がいて、小さな子どもが遊んでいた。1時間以上ののんびりランチ。

  13:15、ランチ。“SHERPA KITCHEN”でオーダー。言葉にならない感動です。すげえ、とにかく、すげえ。

  ランチです。メニューはFried Nordle、Milk Tea。犬がかわいかった。すごくのんびりしたランチタイムです。景色?言葉じゃいえないよ。皆見においで。とりあえず最高です。

  ランチ後は、多くのトレッカーとすれ違ったり、抜いたり抜かれたりしながら、このエベレスト街道をたっぷりと味わう。谷を越えた反対側にも集落が見え、いったいどうやって行き来しているのか、不思議なとこだ。ホテルで一緒だったドイツ人とも途中で会った。

  石段、石垣、つり橋、タルチョ、これらが合いすぎる町並みの中、マニ車・マニ石に敬意を払いながら、エベレスト街道を踏みしめること2時間半。途中はこまめに休憩を取り、おしゃべりを楽しみながら、何より景色を楽しみながら、あっという間に初日の滞在地、パクディンに着いた。

  夕方16時頃、パクディンに到着。今日はここにお泊りです。ティレさんの友達の家らしい。ホテルで一緒だったドイツ人もいます。夕飯はBoiled Poteto、Fried Rice with Veg、Milk Teaでした。イモ、うまっ。

  パクディンのロッジはなかなかきれい。日本の山小屋より全然上だ。でも部屋は寒い。寝袋なんか持ってきてないウチらは毛布を借り、ベッドをくっつけてカーテン閉めて縮こまって寝た。電気が部屋に通っていたことにおどろく。インターナショナルゲストハウスで出発のときに見たドイツ人、ミハエル(仮名)もこのロッジに泊まりだ。スイッチが見つけられず、私にどうやって電気をつけるのか聞いてきた。ベッドランプで暗い部屋を照らしながらカーテン裏のスイッチを教える。唯一ミハエルを助けた瞬間だな。トイレもヘッドランプで入ったが、実は外に電気のスイッチあり。普通に使えたのね・・・。でも便座がなく、中腰でトイレ。レベル高いぜ。

3月6日

  今日もいい天気です。ドイツ人のミハエルはわれわれチームJAPANより一足先に旅立つらしい。チベットナンとジャム。ジャムの味が人工的だったことはあえて触れないことにします。8:30過ぎに出発!ナムチェまで行きます。それにしても登りは大変だー。

  早朝は日が当たらない谷間の道から見上げる青空。山には日が当たり、二日目になってもその景色に心奪われる。朝もやの中、今日も4人で歩く。ウチらは完全にコバンザメ状態。

  稜線の向こうから日が当たり始めると一気に暖かくなり、半袖でも歩けるような気候になる。次々に通り抜ける小さな集落と行き交う現地の人々。日本の登山道と違い、山の中にあってもここが生活道路であることを実感する。この山歩きは飽きない。驚くべきはこれだけ山奥に来ても畑を開墾し、野菜を作っていること。やせた土地だと思うが、少しでも畑にして、何かしら作っていた。そんな畑の中で、ティレさんが友人の家に寄り道、そしてそこで休憩。ティレさんの重い荷物の正体がここでわかった。街から持ってきた、砂糖だったか塩だったかの20kgくらいありそうな大袋。この家の何年分か、それともご近所へ売るか物々交換する分も含まれているのか。ティレさん、いい仕事してるなあ。一気に荷物がカラに近くなった。ここのおばちゃん、ウチらにただでお茶を出してくれた。本当の現地の人とのちょっとした交流か。

  今日は細かいアップダウンを繰り返し、つり橋を何度も渡り、今日も石段、石垣、マニ石の集落を次々に通過。ところどころに日本語の看板もいくつかあり、日本人も少なからず関わっていることを知る。そしてサガルマータナショナルパークの管理事務所で入山手続き。いよいよエベレストに近づいた気がする。

  サガルマータナショナルパークの入山手続きをします。ここから本当に“エベレストに近づいた”気がするぞー。頭痛が止まらないのでロキソニンを飲みます。頭痛だけなら薬もOKとのこと(byミハエル)。Thank。

  ジョルサレでランチ。Fried Riceを食べた・・・ような。ティレさんはラーメン食べてたぞ。それにしてもネパールでもペットを散歩するのね・・・いやいやヤギの繋ぎ方、面白いよ。畑を耕す鍬、短すぎですから。

  日本人のおじさん、おばさんチームとすれ違う。そして追い越すチームも。皆なかなかやるなー。年取ってもこうして夫婦でいろんなところに旅行できたらいいなと思った。かなり疲れたヘタレですが、どーにかナムチェに到着です。すげぇ!標高3400mなのに、こんな大きな町があるなんて。だんろを囲って夕飯、シェルパシチュー。ケンゴはヤクのステーキ。どちらも超美味しかった。こんな山奥でホットシャワーを浴びる・・・極寒でした。これが後々ひびくことになるとは。

  ナショナルパーク内に入ると、それまでどこにでも点在していた家々が減り、比較的集落ごとに集っているように感じた。行き交う人々と牛にあいさつをしながら、一気に標高を上げるとついにエベレストが見えるポイントに到着。はるか遠くとはいえ、生でエベレストを見ることができてうれしい。が、そんなのはこれから先の景色の数々に比べれば大したことはなかった。

  標高を上げてきた山の上、斜面に広がるシェルパの里、エベレスト街道最大の交易の町、ナムチェバザール。なんだ、ここは?!標高3400mに広がる街。これまでの小さな集落とは違い、かなりの賑わいっぷり。山小屋というかホテルというか、宿が立ち並び、店が軒を連ね、人々が活気に溢れ、これぞエベレスト街道という名にふさわしい街が現れた。

  ティレさんに連れられ、T巳さんと一緒にヒマラヤンロッジへ。街のちょっと高めに位置する宿だ。この旅の最終宿泊地はここ。シェルパの里に来たこの達成感に満足。この旅は感動の連続で、しかも次から次へと想像を絶する景色が現れすぎて、感動って言葉が安っぽくなってしまう。けれど、実際に行ってみればわかるが、本当に感動の連続だ。

  町を歩くと、これまでに何度も抜いたり抜かれたりしたパーティやトレッカーを見かける。ミハエルにも会った。狭い路地を行く牛さんもいっぱい。雪が所々に残り、雲が入ってきて景色が見えなくなると山の寒さが際立ってきた。標高3400mという高さでの滞在は、慣れない体に高山病の気配を漂わせる。私は大丈夫だが、かずえが大変そうだ。T巳さんもけっこう辛そう。それでも夜は暖炉で暖まれ、おいしい食べ物が出され、山の中にいるとは思えない、過ごしやすい環境だ。さすがは交易の町、物資にも溢れている。この町では、お金さえ出せばとりあえず必要なものは何でも手に入りそうだ。

3月7日

  毛布にエマージェンシーシートに厚着して寝ても寒かった。次来るときは寝袋が必須だ。朝、日の出とともに窓の外に広がる絶景。なんじゃこりゃ。目が覚めた。まだ町には日が当たっていないが、太陽に照らされた、雪をかぶった壁のようにそびえる山。有名でもなんでもない、そこにあるだけの山でこの雄大さって何なんだ。

    朝寒くて起きる。今日もいい天気だ。ホテルビューエベレストをめざすには絶好の天候。ヒマラヤンロッジを出る頃からお腹が痛いのは分かっていたのですが・・・。くるくる回るやつを回しながら歩く。T巳さんとはこの日はここでお別れ。しばらくすると波が・・。それもかなりのBigwave。26才OL、初にして野デビューです。恥ずかしー。けど痛い。

  ここが最終の宿泊地である以上、今日はできるだけエベレストに近づきたい。そう思って目指したのはエベレストビューホテル。何でも日本の企業が出資しているとか。日が出て暖かくなってきたところで出発。ナムチェを見下ろす高台へと登った。T巳さんは今日はのんびりするとのことで途中で別れた。ティレさんも今日はどこかでのんびりしているはず。

  ナムチェからは上はもう雪景色。日差しがあればそんなに寒くないはずだが、風が冷たい。ここからパラグライダーで飛んだら相当気持ちいいだろうなと。雪で走れないし、こんなでっかい山に囲まれた谷で飛んだら、大変だろうけど。積雪のある今は使えないが、雪原に見えた場所は実は空港だとか。チャーター機のみ、離発着するらしい。ここまで飛行機で来られるとは・・・。

  雪原をさまよい、検問所のような小屋でトイレを借りる。日本人二人がガイドも無しうろつくのは珍しいようだ。エベレストビューホテルへの道を教えてもらうが、結局はここから先も迷う。雪で道が無いんだからしょうがない。方向はわかっているから雪原を突っ切ったりもして、何とかそれらしい道に合流する。道沿いの一軒宿、標高3800mでオーバーでランチ。誰も人がいなくて、雪と山の景色を二人占め。富士山よりも高いとこで食べる優雅なランチに満足した。

  次はエレベストを見ながらお茶するべく、エベレストビューホテルを目指す。通りすがりの現地人が「この道まっすぐでホテルだよ」と言って抜いていった。その先にはすでにエベレストの遠景が見えている。山頂は雲に覆われているが、ついに世界最高峰の姿をはっきりと目にした。

  標高3880m、エベレストビューホテルに到着。「ナマステ〜」とさっきの現地人。ホテルのスタッフだった。しかも片言の日本語がしゃべれる。テラスでコーヒー&ミルクティー。世界最高峰とヒマラヤの山々を眺めながら優雅に紅茶を飲む絵はたまらない。このトレッキングの最終到達地がここだ。他に客の姿はなく、ウチらだけでエベレストを二人占めした気分だ。

  いつまでも見ていたいところだが、雲が入ってきそうな雰囲気にナムチェへと戻る。来た道とは違うが、こちらの方が雪が無くて歩きやすかった。あとちょっとで宿というところでフランス代表に遭遇。やたらとテンションの高いおっさんに捕まり、一緒にシェルパ博物館へ。歴史や過去の登頂者を称えていたり、伝統的なくらしなどを紹介。まあ見て損はないか。

  寒さと高度でやられたところでさらに連れ出され、ぐったりしたかずえは宿に戻るとダウン。T巳さんも腹痛で苦しみ、チームJAPANは壊滅的なダメージ。一人元気な私はナムチェ最後の夕飯をたっぷりと食べて山の夜に浸る。明日の回復を期待して今夜はゆっくりおやすみ。

3月8日

  夜は死にそうだったかずえも翌朝には復活。高山病は夜の代謝が落ちたときに症状が悪化しやすい。加えて腹も下しているとなると大変だ。さすがの私も軽い頭痛を感じたが、他の二人に比べればどうってことなく、一番きつい夜も無事明けた。今朝も見事な景色を見せてくれた山に感謝。

  ナムチェバザール滞在も今日まで。わずか2日のみとはいえ、ソルクーンブ山岳地域のここまで深いところに来られたことはすげえ。帰りのガイドをティレさんに紹介してもらおうとお願いする。が、誰も見つからないから二人で帰れ、と。大丈夫なのか?!ティレさんの知り合いの宿を教えてもらう。これらを利用すれば安心できるはず。パクディンならスターロッジ、ガートならラーマロッジ、ルクラならクーンブリゾート、だって。

  ナムチェにさらば。エベレスト街道最大の町というだけあって宿も人も多く、活気もあって物資もあって、いいとこだった。名残惜しいがいつかまたここに、という思いを心に刻み、ナムチェを後にする。来た道を戻るわけだが、数日前に歩いた道がもうずっと前に歩いた道のように懐かしく感じてしまう。

  谷を越え、川を渡り、ヤクとすれ違い、鶏を横目に。小さな集落からトレッキングする人が泊まるような集落まで、どこでランチにしようか、どこで休憩にしようか、などと二人で話しながら、すれ違う人とは「ナマステ〜」の連発。ものすごい量の荷物を運ぶポーターと牛たちには頭が上がらない。彼らのおかげで山の上の方での生活が成り立っているわけで、その重要さと大変さは想像以上だろう。

  行きにランチしたお店でお茶して、ジョルサレを過ぎると国立公園のゲートへ。無事下山の報告をして、最初に泊まった町、パクディンを通過し、ルクラへと向かう。登りで二日かけた道のりも、下り基調の帰りは一日で行く。が、のんびりティータイムとかのんびりお昼とかしていたら、けっこう遅い時間になってきた。行きはテンションが高かったせいと感動のあまり、あっという間に感じた道のりも、実際にはかなりの距離があったようで、思った以上に遠かった。すれ違った現地人に「ルクラまであとどれくらい?」って聞いたら、すぐそこだって。彼らの言う「すぐ」は「すぐじゃない」と疑っていたが、近そうなことは確か。雲が入ってきて、暗くなってきて、最後のひと頑張り。と思ったら、ホントにすぐだった。道を聞いた場所から5分足らずでルクラに到着。ここまで戻ってきたか。

  無事に二人でルクラに来られたことはまずよかった。次は宿探し。ティレさんの紹介の宿を探す、までもなく、メイン道路沿いですぐに見つかった。18:30、今日のお泊まりはクーンブリゾート。ティレさんの紹介。17時半頃の到着で暖炉を囲む各国の代表の注目を集める。その中になんとあのフランス代表が!!この旅はホントにSee you “Again”が多い。ティレさんの顔のおかげであっさりと受付を済ませ、エアチケットもノープロブレムになりました。

  夕飯待ちの30分でちょっと外へ買い物に。と思っていたものの、すでに外はうす暗くて、しかも店もclosedばかり。残念・・・。結局暖炉で暖まりながらこれ書いてます。夕飯はモモとフライドベジライス。ギョウザみたいなモモ、うまし。フランス代表は団体さんであることが発覚。食堂の一角を占拠していた。12人くらいか。日本人も居た。一人旅。Mr.マエノ。トレッキング20日目の39歳、ジリをスタートし、カラ・パタールまで行ってきたそうだ。

  山の中、最後の宿。ルクラに泊まる客の多くはトレッキングを終え、明日ここからカトマンズへと帰る人。トレッキングの思い出に浸りながら、最後の夜をしんみり、楽しく、思い思いに過ごしているに違いない。

3月9日

  7:00、起床。寒い。晴れ。7:30、朝ご飯。この旅、何度目かのポテト○○(or○○ポテト)。ミルクティー飲んでまったりしていたら、カウンターから「飛行機来るから早く空港へ行け」的な言葉が。朝食抜きであわててチャックアウト。ルクラの空港まで急ぐ。

  急いだところで空港までは歩いて5分の距離。すぐそこなんでどうってこともなく到着。あとは飛行機待ち。次々にカトマンズから飛んでくる飛行機の折り返しでカトマンズへと飛ぶ。さらばルクラ、さばらエベレスト。またいつか、きっと来るから。帰りも21人乗りの小型機。名残惜しむように遠く雪のヒマラヤを目に焼き付けた。

  10:00ちょい過ぎ、ルクラ〜カトマンズを無事にクリア。再び、インターナショナルゲストハウスに戻ってきた。503号室、また5階。でもなんかいい部屋だ。TV付き、バスタブ付き。スイート的な感じ。午後からはカトマンズ観光。ネパールに着いたのは夜で、その翌日早朝に空港へ向かってしまったために、まだカトマンズは何も見ていない。

  まずはタクシーでモンキーテンプルとまで言われる、スワヤンブナートへ。長い階段の先にあり、丘の上からはカトマンズ市内が一望できる。サルと犬と物乞いと無用なガイドに気をつければ、なかなかいいとこだ。大量のタルチョが風になびいていた。お土産物を売る露天が並び、国内外の観光客が集ってきているようだ。

  お腹が空いて入ったお店は“エベレスト・モモ”。モモの専門店で日本で言えば牛丼屋みたいなものか。メニューはモモのみ。何も言わずとも、一皿に12個くらいのモモが、秘伝(?)のタレをかけて出される。水はテーブルにポットが置いてあり、そこから直で飲むらしい。タメル近くにもこの店があり、かずえはそこへ一人で入って食べたとか。すごいな。

  市内をうろつき、ダルバール広場へ。外国人だと入場料を取られた。ゲートは無いけど、係員が目ざとく見つけて料金を請求してくる。生き神のクマリの館とかシヴァ寺院とかパールバティ寺院とか。中には入れないけど、石段を上がって近づけて、周囲で昼寝したりおしゃべりしたり、みんな自由に過ごしていた。ちょうど結婚式のパレードと遭遇。楽器を鳴らし、騒ぎ立て、花と散らしながら人々の中を通り過ぎていった。

  ダルバール広場からタメルまで、アサンチョークとかインドラチョークと呼ばれるアメ横みたいな通りや交差点を抜けて、歩き回る。どこも人だらけ店だらけで活気に溢れていた。こういう場所は見て歩くだけで楽しい。

  タメルに戻ってくる頃には疲れてぐったり。今日、山から帰ってきたことを今さらながらに思い出す。街のレストラン、というか食堂で夕食にする。やっとフライドポテトとかフライドライスから解放された。山の中でも街でも、ネパールの食べ物は口に合うようで、どれもおいしい。たまにスパイスがハズレのこともあるかも。

  22:40、ベッドの上で書いてます。荷物も整理したし、あとは寝るだけ。シャワー浴びる。ホットシャワー。最終日を前に、今日買ったお土産や荷物を整理。お土産の多くは紅茶。街の紅茶屋さんで買った茶葉とスーパーで買った茶葉。現地の味を知るならこれが一番でしょう。入れ方次第でおいしくなるし。長いようであっという間のネパール、とうとう最後の夜になってしまった。

3月10日

  今日も晴れ。すてきだ。8時起き。スイートルーム(ここのホテルとしては)の寝心地さいこー。バスタブ付きのお風呂とでっかいベッド。ちょっとこった感じn内装。プチセレブ気分。

  朝ご飯はホテルの中庭で。レンガの壁と芝生の緑と静かな日差しの中で優雅に朝食。なんて似合わない・・・。いや、そんなことはないぞ。けっこう似合ってる、はず。外国人カップルの方がハマってるけどね。ミルクティーにハムエッグ、この旅で初のふつうの食事。久々によく食べるものを食べた。レストランのお姉さん、ニコニコ笑顔で気分上々らしい。「Hasband and Wife?」、あら、そう見える?「Boy friend and Girl friendよ」。笑顔をふりまいて去っていった。

  10時くらい?9時過ぎか?買い物&観光へ出る。欲しかった牛の首の鈴をゲット。ほしさが上がり過ぎてちょっと高めで買ってしまった。造りはしょぼいな。家のベルに使おう。

  今日はバスとかテンプー(三輪車)で移動を試みる。で、ナサバスみたいな乗り合いバスでボダナートへ。ブッダナートって言うのか?10Rs/人でボダナートへ到着。バンにぎっしり乗っての移動。おりる場所は親切な親子が教えてくれた。そういえば乗るときも親切なおじさんが教えてくれた。いい奴もけっこういるんだけどなあ。ガイドをしたがる奴だけがうざい。ボダナート、100Rs/人なり。普通の民家のトイレを借りた。お礼にお店で買い物してあげた。トイレ代ということで値切らず。ギブ&テイクだ。

  ネパール最大のストゥーパ(仏塔)なり。高さ5階建てくらいの台の上に球体と塔が建っていた。信仰の厚い人はお祈りもすごい。まるで土下寝のような姿勢で何度も地面に伏していた。が、バイクが来たときにはやらない。ちゃんと現代の事情もわかってそうだ。

  ボダナート→パシュパティナート、歩く!バスもテンプーもつかまえられず。ちょーローカルな地元の街を通り抜ける。パシュパティナート、かずえが先に来てくれていたおかげで、裏道から入って見学。今日も数人の葬式が行われていた。遺体をリアルに見るってのは衝撃的な体験だ。そのすぐ脇で川をあさる子どもと、その下流で洗濯する姿も何とも言えず。焼いた灰が流れてくるんだけどなぁ。ヒンドゥー教、深いな・・・。

  お昼、地元のローカルな店、ネパール人以外が入るのは珍しいんだろうなあ。パシュパティナート近くの道路沿い。Dahi Vada(ピザパンのヨーグルトかけ)、25Rs、Momo、40Rs。

  パシュパティナート→タメル地区、テンプーに乗った!小型オート三輪ね。どれに乗ったらいいかわからず。とりあえず何台かあたってみると「Nearタメル」とおじさんが教えてくれた。9Rs/人はどこで降りたらいいかもよくわかんないけど、見覚えのある所で降りる。8Rs/人で済んだ。「About15min.タメル」ってドライバーが教えてくれた。ダンニャバード。

  ネパール最後の夕食はステーキ。ネパール料理はたっぷり食ったからもういいでしょ。“エベレスト・ステーキ・ハウス”、300gのステーキが300Rsくらい。しかもちょーうまい。旅の疲れを、体力を、がっつり食って回復なり。

  もう一日あるかずえとはここでおわかれ。一足先に日本へ向かう。タクシー代と空港税の支払い分だけを残して、ネパールのお金はかずえへ。でも空港までのタクシー料金が予想よりちょっとだけ高く、余分をかずえから渡してもらう。お先に、また日本でね。21:10、タクシーが空港までとばす。予定通りに到着。搭乗手続き待ち。空港にあわてて駆け込んだら警備員に止められる。さらにその間に荷物検査にバッグを持っていかれ、やってあげといた的なおせっかいにチップを取られる。「もってねえよ、金なんて」とトラブルところで、残っていた100Rsで解決。さらに残りの50Rsでチョコ買って残金8Rsなり。で、搭乗手続きが進みません・・・。

  23:05、搭乗待ち。手荷物検査でちょー待たされる。いや厳重なのはいいことなんだけどね。ゲートが1つじゃあ人が並ぶよ。出国はスムースにパス、誰とかに似てるとか言われたけど、誰のことだかわからない。それ以前にネパール人の英語、最後までよく聞き取れないままだった。

  23:55、すでに出発の時間は過ぎてますが・・・慣れたね。この適当な感じ。まだまだ乗ってくる人がいるし・・・。あ、アナウンスが日本語で流れた。すげえ。ねむいです。早く寝かせて・・・。

3月11日

  5:00、カトマンズタイム。7:10上海タイム。40分ほどトランジットで待ち、あとちょっとで日本だ。寒い。天気は晴れ。旅の終わりが近づいてきたなあ。

  日本時間11:50、入国・通関あっさりクリア。トレッキングのザックはそれほどチェックも無し。帰ってきたよ、ただいま。ロイネパ、いけてない。2度の機内食、カトマンズタイムで夜中の1時と朝の6時に出してきた。眠いのに食べてしまった。何はともあれ無事帰国です。大阪から三重まで、最後の電車。日本は寒かった。いつかあの頂へ。そう思った気持ちを忘れずに、また明日から頑張ろう。

おしまい

inserted by FC2 system