駿台のみんなでだらだら合宿

〜1999年 夏休み旅行記 嬬恋村編〜


  9月2日から4日にかけて駿台のみんなでだらだら合宿ということで藤岡家の山荘を占拠させてもらった。場所は群馬県嬬恋村。メンバーは、首謀者兼会計係のtea、たけし、臥倶、石原氏、それと班長兼写真係兼保健係の私、この5人である。はたして本当にみんなでだらだらすることができるのだろうか?期待と不安を抱きつつ、5人の旅は池袋から始まるのだった。

  出発日、池袋集合朝7時30分。各自プレステのマイコントローラー持参。奇跡的に全員時間に集まり、まずは快調な出だしと思いきや、赤羽8時1分発の電車が来ない。7,8分遅れてきた電車に乗ったが、高崎での乗り継ぎ時間は時刻表どおりにいって2分。もう乗れない雰囲気が濃厚。そして高崎へと着いたのが、乗りたかった電車が発車した2分後。高崎線がんばるも一歩及ばず。せっかく時刻表調べたのだから時間どおりにたのむよ〜。これでここから先の予定は未定ということになった。次の電車は1時間後。ここで18切符が活躍。仕方ないので一度駅から出て、構内のミスドで昼ご飯のようなおやつのようなものを食べることにした。みんなで食べたら一回で10点集まり、おまけのピングーのブランケットをゲット。teaにあげた。
  単線の吾妻線は山の中に入ったらピッチは通じず。乗ってからはすぐに寝てしまい、うつらうつらしているうちに万座鹿沢口に着いた。バスを待たされるのでは、と心配していたが運良く、20分くらいでバス到着。バスは以外と時間かからず、プリンスランドなる別荘村の隣、すずらん坂で下車。別荘管理事務所の目の前だった。ふぅ、やっと着いたかと思いきや、まだまだ歩くのであった。
  突き当たりを右に曲がって、また突き当たりを左に曲がって、ちょっと行ったところ。と、teaは言ったが、突き当たりが見え〜ん。辺りには緑に囲まれて別荘が見え始めた。これが別荘地というやつか、と感動。私有のテニスコートを持っている家まであったが、9月に入っているせいか、土日でないせいか、人が見当たらん。20分くらい歩いたところで藤岡家山荘のけはいが漂ってきた。そして待ちに待った到着の瞬間を迎えた。もうそろそろ3時になろうかという時間であった。
  ロフト付きの母屋に、離れ、建物の周りを囲むテラスなどにすばらしいと感動している暇もなく、さっそく生活の準備にとりかかった。母屋内の自転車を外に出し、床を掃除して、水道のパイプやガスの元栓などと格闘すること数十分。電話で指示を受けつつなんとか全部使えるようになった。みんなでとにかく掃除して、到着から40分ほどでお茶が飲めた気がする。最近にも山荘に来てくれていたので、それほど大変な掃除は必要なかった。ひどい時は本当にひどいらしいからラッキーだった。teaの努力があったらしい。感謝。
  時間が時間なだけにのんびりくつろいでいるわけにもいかず、夕食の買い物に行かねばならなかった。移動手段は自転車2台と歩きである。しかし歩きは失敗だった。思ったよりも買物場所が遠くてつかれまくった。知らない道のせいで距離以上に遠く感じた。山道なのに車多し。国道と国道を結ぶ裏道らしかった。うちらも自動車で来るときはこの道を使うことになるのかもしれん。まだ免許も持っていないけど。で、いろいろと買い込んだらあっっさりと予算オーバー。アルコール類が多すぎだと思ったのだが、帰る頃にはほとんど飲みきったらしい。野菜の直売所ではいっぱい買ったせいかおまけでセロリをくれた。これは結局使用せず、最後の日に土に返してしまった。
  買い物のあとは料理。初日の夜はカレーで、キッチンに立つのはtea、私、臥倶の3人。次回はみなさん簡単な料理を一つは覚えてきましょう。ご飯は飯ごうで炊いた。しかもteaのじいちゃんが戦争の時に愛用していたものだとか。こういうところで食べる夕食はおいしい。しかし、作るのにかけた時間に対して食べる時間はとても早い。5人であっという間に食べてしまった。
  山の夜はなかなか涼しかった。というより寒いくらいだった。食後はゲームタイム。離れでプレステをやりつつ、順番にお風呂に入った。ダンスしている奴らは汗をかくだけかいてからということだったので、私は先に風呂に入った。ふとんも敷いてあったので風呂上がりはちょっとごろごろ。たけし、臥倶、石原氏は来るときから花札にはまり気味。みんな風呂に入ったあとは、またもプレステ。でも、さすがに今日は疲れたのか、アルコールのせいなのか、みんな徐々にダウン。早めにふとんにもぐり込んだ。teaはロフトで、残りは一階の畳部屋。早々にteaは寝たと思われるが、うちら4人は怖い話にはまりなかなか寝られず。石原氏のやまんばの話は笑えたが、それ以外は辺りに人がいない山荘での静けさはこわさを倍増させるものがある。しかも、ちょっとカーテン開けたら雨戸が閉まってなくて、窓の外で不気味に木々が生えていた。こわい〜、と思っていたが、この日は疲れがまさり、そのうち眠ってしまった。

  2日目、だらだらのはずが朝早く起きてしまった。teaと臥倶が早く起きており、朝ご飯はまかせた。味噌汁がやたらおいしかった。そのうちたけしと石原氏も起きてきたような気がする。気がついたらみんな起きていた。で、だらだらとお昼になり、臥倶と2人でパスタ作り。ツナ醤油とナスバジルをあわせて600グラム。できたら一瞬でみんなに食べ尽くされた。そしてまただらだら。ゲームやお絵描きでのんびりと過ごした。
  昨日の教訓から買い物は自転車のみでということになり、tea、石原氏と3人で行くことになった。はるかはなれたコンビニまで、ツールド式根島を思い出させるサイクリング。自転車ならそれほど遠くないことがわかった。その帰り道、栗を拾いながら行くと、teaと石原氏からおくれること50m。目の前で事件は起こった。じゃなくて事故が起こった。追いかけてくるトラックから逃走中に狭い橋を通った。ここを渡るのに車はすれちがえないので、正面から来た乗用車はストップ。ところが、その後ろに乗用車が追突。車間距離が空いてないな〜、と思っていたが、目の前でぶつかろうとは。フロントとリアのライトのガラスが私のすぐ前に飛び散った。やばいパンクするかも、と考える間もなくそこを自転車で通過。けが人はいなかったようなので、責任が全くないことを頭の中で確認しつつダッシュ。2人に追いつく。teaいわく「あれ?うっちゃん、逝ったのでは?」。勝手にころさないでくれ〜。まあ何の被害もなく、無事山荘に帰還。夕飯はバーベキューにきまり。
  この日の夕飯は大変だった。たき火で飯ごう炊さんのはずだったが、木の枝も地面も湿っていて火がつかず。しばらくがんばったが、あきらめてガスコンロで炊いた。バーベキューの鉄板も思うように木炭に火が付かず。火力が弱くて食べるのに一苦労であった。しばらく食べていたら火も強くなってきて、バーベキューもそれらしくなってきた。テラスでバーベキュー、すばらしい…。まわりは暗い木々に囲まれて、人が全くいないなかで、うちらのいる山荘だけが今宵の宴を楽しんでいた。いいね〜。
  食後はお散歩。近くに最近できたというホテルを目指して、懐中電灯なしだとなにも見えない森の中を歩いた。そして通用口から中へ、そのまま屋上へとお邪魔した。まばゆい星空を期待していたのだが、残念ながら曇り空で星はほとんど見えず。遠く山々の向こうで光る街らしきものが見えただけだった。ゲーセンとロビーでくつろいで帰ってきた。
  夜、今日はみんなそろって離れでプレステタイム。持ってきたゲームは一通りやってみたのだったが、やはりみんなでやるには「サイ」が一番いい。そのうち、みんな離れのふとんに埋まっていった。やはりteaは早めにダウン。離れで寝てしまう前に、何とかみんな母屋に戻った。結局、完全に眠ったのは5時過ぎ。外はうっすらと明るくなっていた。

  最終日、山荘生活最終日は後片付けと掃除が待っているのだよ。昼過ぎにゴミ捨てついでにバスの時刻表を見に行った。バスの少なさに唖然とする。石原氏とともに山荘に戻るまでの長い長い下り坂を自転車でノーブレーキ。曲がり角で止まれずに、2人そろってコースアウト。舗装された道から20mほど外れてしまった。自転車でとばしたら楽しそうな舗装された林道だった。
  立つ鳥跡を濁さず。藤岡家山荘をまた占拠させていただくためにも、きれいにして帰らねばならない。余ったフィルムを使うべく、山荘で写真を撮りまくった。なかなかいい写真が出来てきたよ。楽しかった山荘生活ともお別れ。ここでちょっと急ぎ足。写真で時間を使いすぎたのか、バスの時間にぎりぎり。間に合って良かった。万座鹿沢口では電車待ちで1時間以上。乗ってからは眠ってしまい、そのうち高崎に着いた。ここでだるま弁当を買い、電車の中で夕食にした。帰りは早かったような気がする。そういえばたけしがだるまを4つ持って帰ったが、どうなっただろうか。
  こうして駿台だらだら合宿は幕を閉じた。はたしてだらだらというテーマにそっていただろうか。いや、食事作りや掃除でそんなにだらだらではなかったような…。次回はもっと長く滞在して、もっとのんびりと生活しよう。そう心に誓い、それぞれの生活に戻ってゆく5人であった。

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