ツマゴイ・ウィッチ・プロジェクト

〜2000年 夏休み旅行記 嬬恋村編2〜


  「今年は車で」。これを合言葉に何とか計画した藤岡家山荘の占拠。しかし、諸事情により、うちの車が使えなくなってしまったので、臥倶に出してもらった。メンバーはちょっと変わっているが、たえ、たけし、臥倶、フミエモン、私の5人。たえ、たけしとフミエモンはなんと今回が初対面。でも、問題はなさそうだった。みんなネットで名前は見てるからね。9月8〜10日の日程で、8日の夕方、東京を出発。夜の山に問題はないのか。その答えは後でわかる。

  1日目、池袋で待ち合わせ。これは去年と同じ。でも今年の交通手段は車。遅刻のたけしを待って、臥倶、私と3人そろったところで、藤岡家へ。バイトが終わったたえを拾ってほぼ予定通りの時間に出発した。渋滞もなく関越自動車道を順調に高崎へ。寄居P.Aで臥倶と代わり、ここからはしばらく私の運転。高崎I.Cを出たところで、実家から来たフミエモンと合流。フミエモン母にも会い、たっぷりと差入れをもらった。なかでも梨は特においしかった。フミエモン母は車で行くと言ったら心配したそうだが、運転経験豊富な若葉マークドライバー3人(7か月、4か月、2週間)を信じてくれたらしい。これで今回のメンバーが全員集合。「ここからが旅の本番か」と思った直後、車線の都合で強制右折。高崎駅前に来てしまった。なんとか予定の道に戻り、これで安心。あとは道なりに行けば軽井沢に着くはず。なんとなく見覚えのある道だと思ったら、去年の春に夜行バスでスノボーに行ったときに通った道だった。市街地の寂れたガソリンスタンドで燃料補給。碓氷峠の手前、去年の春も寄ったドライブスルーで、この日の夕食に釜飯を食べた。うまかった。空いた釜は2個持ち帰り。今はうちで植木の台にされている。たえは空いた釜は叩き割って楽しむとか。金曜日の夜とはいえ、ここには人がほとんどいなかった。このドライブスルーに気づくのが遅く、通り過ぎてから戻ったのだが、正解だった。ここから先は軽井沢まで何もなかった。

  腹のエネルギーを補給して、みんな車に乗り込む。雨も降り出してここからの夜の山道が気になるところ。しかし、それ以上に気になったのは、エンジンをかけたらどこからか聞こえる怪しげな音。原因は不明だったが、ギアをいじったら音がしなくなったので、不安を残しつつも出発。さらに言うならばワイパーがいまいち機能せず、視界がかなりわるかった。しばらく走ると予期していなかった分かれ道。分かりづらい標識に迷いつつも右の道を選択。雨は止んだようだったが、真っ暗な山道は走るのに神経を使った。山の合間から見える空は雷で光りっぱなし。稲光しか明るいものがないからきれいだった。360度回転しているかのように思わせるヘアピンカーブの連続。時々見かけるのはのんびり走るトラックのみ。そのトラックをスリップストリームから一気に抜き去り・・・。ひたすら走ると料金所があった。有料道路だったらしい。「そろそろ軽井沢かな。そういえば標識で軽井沢駅なんていうのも見た気がするし」。そう思ったころにはすでに追分。地図で見ると行く予定の道は有料道路を走行中に通過していた。ここに来てかなりのミス。今思えば有料道路前の分岐点は左が正解だった。

  軽井沢から嬬恋村への山越え。「その前にコンビニに寄ろうか。でもここローソンだし、次のコンビニにしよう」。しかし、次のコンビニはなかった。北軽井沢の温泉街を抜けると、すぐに山に入った。今度はトラックさえも走ってなかった。大人数を乗せた車は上り坂では全力を尽くしていたにちがいない。標高もみるみる上がっていき、窓の外はひんやりしてきた。ライトがガスの流れていくのを照らしていると、それが徐々に濃くなっていき、あっという間に濃霧になった。これがツマゴイに住む魔女の仕業か。すでにツマゴイ・ウィッチ・プロジェクトは始まっていた。5メートル先は全く見えず。ライトを上に向けると目の前が光の壁になった。それはそれで気に入ったが、走るのには問題あり。見えるのはセンターラインのみ。それを頼りにちょーのんびり走行。1台だけ後ろから来たので、先に行かせようと思ったが、なかなか行かない。こんなときは誰かの後ろを走りたかったのだろう。そのうち前に出た車のナンバーを見ると川崎。地元ではなかった。でも、さすがに若葉マークの後ろを走るのはこの状況ではこわかったか。しばらく後にはまたもや単独走行。そのうち霧も少しは晴れてきて、目の前が何とか見えるようになったころには、去年買物に来たショッピングセンターやコンビニの辺りにたどり着いた。飲み物とおやつをコンビニで買い込み、目前に迫ったはずの山荘へ向かった。去年自転車で走り、事故を目撃した道を、今年は車で。なんとなく感慨に深いものがあった。

  夜の別荘地は鬱蒼と茂る木々が不気味だった。「もしやここにも魔女が・・・」。ライトを消すと真っ暗な林は、木々の隙間から見える空との組み合わせでなんか幻想的だった。危ないからすぐにライトは点けたが。狭い林道を走ること数分、ついに藤岡家山荘「安永寓」に着いた。1年ぶりに見るその姿は去年と変わらず。何かを語りかけるかのように静かに建っていた。ツマゴイの魔女に負けることなく、無事に到着したことに感謝。今年もまた電話で指示を仰ぎつつ生活できるようにセッティング。ちょっと遊んでから寝たのだが、時計は午前4時をまわっていた。

  2日目、明け方6時頃に臥倶の携帯のチャイムが鳴って起こされた。が、たえが止めてくれたらしく、次に気がついたときには10時くらいだった。朝食後、まずは買物。ショッピングセンターと野菜直売所でバーベキューの食材と酒類を買い込んだ。いい機会だから、たけしに運転を任せてみたが、なかなかのスリルだった。この日の最終目的は温泉。でも、最初に向かったのはバラギ湖。かなり山奥の方にあった。途中にはどこぞの大学の研修センターもあった。観光ガイドではけっこういい感じに見えたバラギ湖だったが、行ってみたらけっこう寂れていた。水辺でバシャバシャ出来なかったのも不満。魚類も見られなかったし。でも万座温泉の割引券やいろいろなパンフレットを手に入れたので良しとする。この辺りで温泉と言えば万座か草津。

  道路の都合とスキー場の下見も兼ねて草津に行った。運転は任せて、寝ているうちに草津の温泉街に着いた。スーパーの駐車場に車を残して、温泉街の中心、湯畑へ。硫黄(?)のにおいが充満していた。足だけ浸かれる温泉があったが、あまりに熱くて入れなかった。長めに浸かっていたと思われるカップルの足は真っ赤になっていた。がんばったらしい。すぐそばには無料で入れるあやしげな温泉小屋があったが、あまりのあやしさに誰も入らなかった。遅い昼というかおやつにお好み焼きを食べて、そろそろ温泉へ。車までは上り坂で帰るのが面倒ということで、たえと私で車を取りに戻った。途中でお土産に温泉饅頭をゲット。傷つき饅頭30円もおいしかった。

  湯畑周辺は駐車場以外には車を停められるスペースがない。後ろが詰まらないように、車が着いたら一気にみんな飛び乗った。あまりの急ぎようにその辺にいた人々に笑われた。草津での目的は、あとは温泉に入るのみ。草津で一番大きいという、西の河原露天風呂をめざし車を10分ほど走らせた。着いた西の河原公園駐車場は「本日の営業は終わり」の看板が立っていた。駐車料を取られずにラッキーと思ったが、案内図を見ると露天風呂は違う場所にあった。同じ名前でも正反対の位置にあるらしい。再び車に乗って5分。さらに駐車場から歩いて7分。川沿いには湯気と温泉のにおいが立ちこめていた。温泉が河原のあちこちから湧いているらしく、川となって流れる各所から湯気が立ち昇っていた。川の向こうには露天風呂が見えていたが、残念ながら男湯だった。西の河原露天風呂は評判通り大きく、温泉を満喫できた。ただ熱くてあまり長くは浸かってられなかった。しかも、なんか肌がひりひりした。ふやけるまで入っていたら、すっかり日が暮れてしまった。草津から帰る時間を考えると、バーベキューの食材を買っておいたのは正解だった。温泉のあとじゃ、買物に行く気がしなかった。

  今年のバーベキューセットは新しいやつに変わっていた。火がつきにくい木炭との戦いは、コンロで火をつけることで回避。みんな腹が減っていたので、準備も慌ただしく、テラスに置いた鉄板のまわりに陣取った。そしてバトルが・・・。でも、たっぷり買い込んでいたので、バトルになることなく、穏やかにバーベキュー。肉とキャベツがおいしかった。疲れもあったと思うが、ピンクグァバ酒を1缶飲んだらダウン。ロフトでひとり寝ていた。その間、きっと鉄板を囲んで激しいバトルが繰り広げられていたに違いない。起きたときには11時過ぎだった。2時間ほど寝ていたらしく、みんなシャワーも浴びてまったりムードになっていた。紅茶を入れて、フミエモンが持ってきてくれた梨を食べて離れへ。この梨は甘くておいしかった。プレステタイムには「かまいたちの夜」。ゲームが進むにつれて、みんなもダウンしていった。ふとんに戻って寝たのは4時頃か。ロフトを占拠して寝たが、眠れず。小窓から外を眺めてぼぉ〜。結局完全に眠ったのは外が明るくなる6時半頃だった。

  3日目、寝たのがあの時間だから、朝起きられるわけがない。11時過ぎには何とか起床したが、すでにみんな起きていた。臥倶かたけしはまだ寝ていたような気もする。家にある食材を使って交代でだらだら朝食兼昼食。掃除や片付けを2時までに終えて、2泊お世話になった山荘を出発。軽井沢をうろつくことにした。初日の夜に濃霧だった峠は、晴れていればどうって事のない道だった。市街地に入ると渋滞気味だったが、3時半頃には軽井沢駅前の駐車場に着いた。北軽井沢の街中を散歩。嬬恋村からつながる道が渋滞していたが、その道沿いをうろついた。なんか店の雰囲気が原宿の竹下通りっぽかった。おやつとお土産を手に入れて軽井沢はさらば。帰り道の碓氷峠へ向かった。

  来たときとは違う道を通ったのだが、細かい急カーブの連続で運転が大変だった。普通は有料道路か高速道路を使うらしく、この道は車が少なかった。高崎までは多少混んだが、順調に帰ってきた。途中で見た電光掲示板によると高速は混み気味だった。が、のんびりでも高速で帰ることにした。高速の方が運転ラクだから。交通情報をラジオで聴こうとしたが、臥倶の車はなぜか電波がわるく、あきらめた。帰りは藤岡I.Cから高速道路に入るつもりが、車線の都合で変な方向へ。ぐるっと回って高速の入口に向かうも、暗くて見えず、またもや入りそこなった。山道で疲れていたのだろう。もう高速は目前なので、ここで運転交代。いきなりたけしの出番になった。たけしは心の準備がどうのこうのとか言っていたような気もするが、多数決でたけしに決定。どきどきの運転で高速へ。車内が妙な緊張感に包まれていた。料金所、自動発券機から券を取るだけだったのに、車内からは券に手が届かず。私が車から出て券を取った。後ろに車が続いてなくてよかった。入ってすぐの上里S.Aで休憩。これからの対策を練ることにした。夕食は高速をおりてからということにした。おやつにドーナツを食べたかったが、売り切れ。残念。

  高速の出口、練馬まで断続的に渋滞。でも、たけしに運転を託して、私は爆睡。起きたら料金所手前まで来ていた。緊張の料金所、入口のパターンだと車に乗ったままだとお金が手渡せないかも。後部座席で私はいつでも車から降りられる準備。まあ問題はなかったが。渋滞のわりには早く着いた。高速出てすぐのガストで夕食、10時半ぐらいには馬場近辺に帰ってきた。臥倶のサービスでみんな家まで送ってもらった。最初にたえを送ってあげて、次にフミエモン、最後にたけしをそれぞれ送り届けた頃には12時をまわっていた。最後は運転を交代して、今夏がんばってくれたワーゲンにもうひとがんばりしてもらった。

  山荘を貸してくれたたえ及び藤岡家に感謝。車を出してくれた臥倶及びがんばってくれた車に感謝。旅行を盛り上げてくれたみんなに感謝。山荘に米を忘れてきたことが気になるが、去年の希望どおり、今年もまた山荘に行けてよかった。もう夏休みも終わってしまうので、次がいつになるかわからないが、心に野望があるかぎり、必ずや次のイベントが発生するだろう。そのときは、みんながまた巻き込まれてくれることを期待する。

おしまい

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