弥彦日帰り、こんなはずじゃ・・・

〜2001年 夏休み旅行記 弥彦編〜


  まだ寝てから1時間しか経ってない午前3時過ぎ、その電話はかかってきた。「寝てた?」当たり前だ。「鳥取行くのやめにしたわ」まじっすか・・・。この時間に頭が働くはずもなく、4時には起きて4時半には家を出なくてはならない。今さら荷物の入れ替えなどする時間も気力もなくほとんど寝たか寝てないかわからんうちに目覚ましが鳴ってしまった。

  8月26日の印が押された18切符で電車の旅がスタート。まずは上野駅5時13分発の高崎線始発。日曜日のせいかこの時間にしては人が結構多い。高崎まで爆睡。少しはすっきりした。7時9分、水上行きの電車に乗り換え。少しは人が増えてきた。東京では日の出とともに晴れていたが、今は曇り気味。鳥取行きがなくなったので、新たな計画をねらねばならない。が、結局寝てしまい、気がついたら水上駅に着いていた。あわてて電車からおりた。時刻は8時18分。景色はいつの間にか山の中になっていた。今日の天気は曇りか。これでは海に入るのはちょっと寒いかも。

  水上駅からの電車は2両編成。混み気味。さらに山の中に入っていく。線路脇の崖下にはきれいな川。そしてすぐにトンネルに突入。ここからは当分トンネル続き。驚いたのは駅がトンネル内にあるということ。山の中腹に出る駅やスキー場直結の駅がいくつか並んでいた。窓の外は真っ暗。眠気を誘われまたもや寝てしまう。岩原スキー場や越後湯沢といった来たことのある場所を通過していった。次の乗り換え、長岡駅に着く頃には電車は満員。いつの間にこんなに人が乗ったのだ?たっぷり寝たおかげでやっと目が覚めてきた。10時23分、弥彦にいる人たちに電話してみる。「これからテイクオフにあがるとこ」とS山さん。とりあえず「吉田駅まで迎えお願いします」と早めに連絡をしておき、再び電車へ。東三条駅に着いたのは11時ちょっと前。ここで最後の乗り換え。弥彦線の発車まで30分ほどあるので、駅の近くをうろついてみる。が、何もなかった。11時23分、本日の乗り換え最後の電車に乗り込んだ。

  弥彦線、なんとドアが「半自動扱い」。ボタンを押すか手で開けるか。しかもたまにワンマンになり、駅によっては2両編成の前1つしかドアが開かなくなることもある。ローカル線おそるべし。11時47分、弥彦線吉田駅到着。さて誰が迎えに来てくれているのかな?ってやっぱり誰もいない。まあ多分そうだろうとは思っていた。12時6分、「今、山から下りてきたのでこれから迎えに行く」とのこと。あと約20分待ち。駅前の歩道橋からは海の方向に山が見えた。あれが弥彦山かな。弥彦線の終点、弥彦駅まで行く電車はわずか数本。吉田駅で1時間半待ちになるので、迎えに来てもらうことにしたのだが、早めの連絡も無駄に、結局待つことになってしまった。ちょうどいいから昼ご飯でも食べて待つか。

  迎えに来てくれたのはI田さんとN村君。I田カーで、日本一でかい鳥居とやらをくぐった辺りで、ぽつりぽつりと雨が・・・と間もなく大雨と強風。ほとんど台風状態になってしまった。たたきつける雨で視界は最悪、ワイパーがほとんど意味なし。強風にハンドルさえとられてしまう。海が見えてきたが流れ込む川と日本海に水の色で境目ができている。せっかく弥彦に着いたのになんてこと・・・。海沿いのランディング脇の駐車場に到着。テントは風に歪んでいる。どしゃ降りの雨のなか、みんな濡れながらグライダーがとばされないように、へばりついている。あまりの激しい雨風に片付けることもできずに、ただ風が止むのを待つのみ。服のまま海に入ったみたいにびしょびしょのS平さん、T木をはじめ、みんな水を滴らせていた。グライダーの下で水たまりにお尻まで浸かって座り込んでいたHさん。なんか可愛い格好にちょっとドキドキ。テントの中には飛ばされないように多分IすけとかTちゃんとかK原がいたはず。着いて早々この惨状。「お願い、温かいものを」との言葉に、休む間もなくコンビニへと向かった。

  この時期に温かいものがあるのか?自販機は全部冷たいやつだし、この辺のコンビニもどきには温かいものがおいてなかった。「さ〜む〜い〜は〜や〜く〜」と電話。唯一あった温かい飲み物は紙コップの自販機。段ボール箱をお盆がわりに、載るだけ載せる。揺れる車内ではこぼさないように必至。紙コップでこぼさないように移動すると、グランボレの水をこぼさないように飛んだ大会が思い出される。

  少々ぬるくなってしまったが、ホットドリンクをみんなに配ってまわる。雨風ともに少しはおさまってきて、なんとかグライダーをたたみ始める。この天気この寒さではとても海には入れない。日本海を目にしただけで入ることは叶わず。日本海で泳ぐのはまたもやお預け。雨が止んでからは後片付けに大忙し。ただでさえ散らかっていたと思われるのに、風と雨がさらに散らかしていってくれた。水たまりに浸かったグライダーを救出したり、びしょ濡れの服を着替えたり。だいたい片づいてきた頃に、Hさんがこそこそと駆け寄ってくる。「ねえねえこれ貸して」と服を引っ張る。「別にいいっすけど、なんで?」「だって透けてるって」「えっ、気づいてなかったんですか」「早くおしえてよ〜」「いや、大胆だな〜と思って」。と、こんなやりとり。Hさんの事件簿に追加。

  慌ただしく時間が過ぎ去り、のんびりすることなく夕方になっていた。スコールはなんだったのか、雨は完全に止んでいた。I田カーは早めに出発。残ったワセバン6人はのんびり東京に戻る予定。まずは体を温めるために温泉、「てまりの湯」へ。なぜか混んでいたが、気持ちよかった。定員3人のサウナにI藤さん、S平さん、T木、N村の4人が詰まっていたのは地獄絵図。風呂上がりはやっとのんびりできた。コシヒカリアイス旨し。

  S平さんのナビは笑いの連続。いやナビに限らず笑わされっぱなしだった。長岡市内で夕食。海の幸はやはりおいしかった。名前は忘れたが、よくわからないおいしいやつも食べた。長岡ICから乗った高速は至って順調。みんなが爆睡する中、I藤さんが爆走。眠ったり、まどろんだりしているうちに赤城高原SAに着いた。一番後ろの座席で寝ていたら、いつの間にかHさんの頭がひざの上に。目と口が半開きでこわかった。じゃなくて、ろくに身動きできずにちょっと大変だった。練馬で高速をおりるまで再びダウン。Hさんの家に着く頃に日付が変わった。

  次の日、T木は自分の機体と先輩4人分の合計5機を、洗ったり乾かしたりで大忙しだった。私はというと昼まで寝て、天気が良くなってきたところで、飛びに山に上がった。まさか新潟の、しかも日本海まで行って日帰りになろうとは・・・。こんなはずじゃなかったのだが、まあこれはこれで面白いか?いや面白くない。結局、先輩方の手伝い?面倒を見に?雑用をしに?行っただけだったのか??「くぅ〜来年は弥彦で飛んでやる〜!」。足尾の空に心から叫んで飛び出すのだった。

おしまい

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