導かれし者たち

〜2004年 旅の軌跡 北関東編〜


4月30日

  東京発、夜出。先を行くリュウを追う越前守と私。そして久々に3人が揃う、GWの始まり。今回はリュウ&越前守の旅行記で、どうぞ。

  今の俺は公務員試験勉強で、知識を平常時よりも詰めたために、大切な記憶がどこかにしまわれてしまった。それは5月連休初日のことだった・・・。茶臼岳登山感想。確かメンバーは、3人とも「井」がついたような・・・あ、そうそう薄井、福井と荒井(本人)でした。俺は茶臼岳まではバイクで行きました。そして薄井と福井はトヨタ製でデンソーの部品をふんだんに使っている白い黒いワゴンで来たのでした。バイクで千葉県から栃木県の黒磯まで一般道を走ったのだが、寒かった。でも空いている夜の国道を飛ばすのはいい気分である。贅沢を言うともう少し排気量が欲しいと思った。250ccでは、90kmを超えるとエンジンもうるさく、風圧も強い。3人は黒磯で落ち合い、セブンイレブンの駐車場でワゴンを宿代わりに泊まった。

5月1日

  翌朝同じようにしてワゴンに泊まっている若い夫婦の家族がいた。その亭主が、隙に子供と一緒に、私の単車にまたがっていたのは笑えたが、「何してんのヨ」て感じの奥さんがとても綺麗だった。麓から茶臼岳の登山口までは車でかなり登る。そしてヘヤピンカーブが連続して楽しかった。 登山口は森林限界を超え、カンバ類と熊笹が斜面を覆っていた。私は今日の登山、正直言って自信が無かった・・・というのも公務員試験の勉強のため、極端に運動していなかったからでした。でも山を歩き始めたら体が自然と動くので、学生の白神を歩きまくっていた感覚が蘇えっていることにほっとした。山に登ると登山客と「今日は」の挨拶を交わすのだが、北と南では、その挨拶の響きが違うことに違和感を覚えた。北では挨拶するときに風が通り過ぎるような感じで挨拶する。それは物事に対してあまりこだわらない感覚のように感じる。そして南に対して声が少々暗い。北で住んでいた私にとって南の挨拶は明るすぎて少々眩しい。低緯度の強い日差し、人の込み合う社会、雪が降らないこと等色々な要因があるに違いない。感覚的に例えるなら、「北が澄んで広い」のに対して「南は眩しくて賑わっている」という感じである。歩き始めて、1時間も経たないうちに風衝・低温のため草木も無く、岩石だらけの景色となり視野が広まった。ここで薄井は地形から風の流れを読んでいたが、そのパラグライダーによって培われた感覚を説明してくれ、感動した。感性は音楽を聴いたり、森の中で何かを感じていたり、運動したり、その経験の中で培われいて、また自分には無い風を感じながら空を飛んで感じる感覚というのも素晴らしいんだろうな・・・と羨ましく思った。

  連続する峰、茶臼岳の噴火口から放出される噴煙、小さく散在する人の姿が見え、雄大であった。連縫を繋ぐ尾根からは日光白根山などの冠雪している山々が見え、そこが雪国との境界になっていた。雪国を出てきた私としては懐かしさ、寂しさ、天候の陽気さ等が入り混じって、複雑な感傷に浸った。それと俺たち今回の登山で日光白根山にしなくてよかったね・・・(笑)と思った。あとは、剣岳などの峰を縦走し、三本槍岳まで歩きまくりであった(記憶少なし)。景色は抜群であった。ここで昼食を取ったが、腹を空かした羽虫の襲来には面喰らった。

  ここを折り返し地点として引き返した。道は尾根と湿原を通る。特に低木の密生している湿原の分岐はいくつかあり、迷いやすい。しかし迷ったのは私だけであった(笑)。通るはずの剣岳が徐々に高度を上げている事に気付いたとき間違えていることに気付いた。かなりの早歩きが祟って道を間違えてしまったのである。「一人で独走したことが悪かった」と反省しながら、大急ぎで戻ったが、そう時間はかからなかった。ここで15分くらい薄井と福井を待っていたのだが来る気配はしなかったので、すれ違いだと認識してあとを追った。2人に追いついた地点は剣岳の休憩地点であった。待っていてくれたことに感謝!であったが、そのときの2人のめちゃニヤケタ表情には腹が立った(笑)。ここから見下ろした誤登山道は、はるか下方のまったく見当違いな方角に伸びており、引き返して良かったと心から思った。

三本槍とはうちらのことか?!

  剣岳から最後にめざしたのが茶臼岳であった。所々硫黄ガスが噴出し、登り詰めたところには、大きく窪んだ噴火口があった。そして最も高い地点に神社の鳥居と堂があった。高い山には必ずこういった神を祭る神社がある。大昔の日本では自然の現象・生物や石にも神が宿っているという考え方があった。海には「海神(ワタツミ)」、山には「山神(ヤマツミ)」、雷には「雷神(イカヅチ)」、火には「火神(カグツチ)」が宿ると考えられていたらしい。今の日本では文明化によって、このような文化はほとんど失われているが、東北や北海道、都市から隔離された地方ではこの文化の片鱗が人々の生活の中に今も残っている。またその表現体として代表的なものが神道だ。自然と生活を共にしているなかで培ってきた文化なのであろうと思う。ここから下方の駐車場へと向かうゴンドラはすぐ側であったが、途中沢山の層を持った堆積岩の塊が転がっており、直径は5m以上あったが(もちろん周辺は火成岩)、それがなぜそこにあるのかが不思議でしょうがなかった。それを観察していた福井が最も詳しいに違いない・・・。(BYリュウ)

  と、いった感じでここから私。広くて緩い砂の斜面、るんるんスキップで下山。止まらなくてそのまま崖からテイクオフ、しそうになりつつも、大人しくゴンドラで下山。三本槍のごとく揃ったGWのピークハントはノリノリのまま終わりを告げた。(BYうっちゃん)

  ここまで竜の旅行記をお楽しみのみなさん、残念なお話がございます。なんと竜はここで私たちに別れを告げ、どっかにいってしまいます。そこで僭越ながら越前守がこのあと綴らせていただこうと思う。

  竜と会ったのは旅の軌跡弘前編(TUV)以来であった。日々刻々と時は流れているのに根底に流れる潮流はいつも同じ、竜はあまり変わっていなかった。むしろ私のほうが変わっていたかも知れない(嘘です)。まぁ、よく言われるんだよね。越前守はいつみても変わってないねぇ。ほっとする。性格はかなり変わっているんだけどね。と旅行記に全然関係ない話をしてしまい申し訳ない。どこまで書いたか忘れてしまったが・・・(上を見てみる)何も書いてないじゃん・・・。気を取り直して。温泉ぐらい一緒に入るべという誘いを断り、大事なものがあるらしく、颯爽と竜はバイクで駆け抜け、先に帰っていった。

  ここからは越前守とうっちゃんの二人旅となった。竜と別れたあと、とりあえず汗を流そうということで温泉にいくことにした。温泉として二つ候補があった。一つは『鹿の湯』というところ。もう一つは『高雄温泉』。まず野温泉である(ちゃんとした温泉設備が整っている訳ではない感じかな?)という噂の高雄温泉に行ってみることにした。行く途中、鹿の湯を横に見ながら車は走る。狭い道で何台かトラックとすれ違い、目的地高雄温泉についた。そこで待っていたのは、建造中の温泉宿(というかホテルかなんかの保養施設)。う〜ん、やはり世は温泉ブーム。こんなところ放っておくことはないのか。道理でトラックと何台かすれ違ったわけだ・・・。ということで高雄温泉は却下。ぱっと見だけど、かなり湯量がありいい感じであったぞぇ。

  今来た道を引き返し、鹿の湯にいくことに。駐車場になんとか車を止め、いよいよ温泉に。鄙びた感じのなかなかいい雰囲気の温泉であった。もちろんここに出る温泉は硫黄泉。茶臼山で散々硫黄の異様な臭いがしてたのだから当然か。かなり強い酸性泉らしくフットサルで擦りむいたところが染みたような染みなかったような・・・。料金は400円。シャワーなどはないです。シャワーで汗はながせなかったけど、温泉に満足。温度は40度41度とか細かく分かれていたけれど、43度でもうだめでした。同じ400円でも東京の銭湯とは比べものにはやはりならない。東京に温泉あるけど、高いしね。

  温泉を満喫した二人は、明日の予定を考えることに。さすがにこの時期、白根山は雪が残っているらしく、ちょっと厳しいとの情報があったので、却下とし、赤城山に登ることにした。那須から赤城山は決して近くはないが、行くことに決定。途中セブンイレブンで30分間仮眠をとり宇都宮経由で赤城山にいくことにした。・・・<道中略>・・・ということで宇都宮につきました。宇都宮といえばやっぱり宇都宮大学ってあってるけど違うね。餃子。なんかもっと餃子店が立ち並んでいるのかと思ったけどそうではなかった。ちょっと残念。ということでうっちゃんが昔来たという記憶を頼りに「みんみん」を探すことに・・・。やっと発見。駐車場に車を入れ、いざというときに前の人がみんみんからでてきた。時間は20時2分。なんと20時までなんですよとのこと。ぇ〜そりゃないぜベイベー。いろいろ探してみたけどどこもだめ。なんか宇都宮は餃子の町と思ったけどそんなにも早く閉まるのね。これじゃ田舎の・・・(以下略)。とりあえず中華屋で定食を食べ、一路赤城山へ。

  赤城山周辺についたのは何時頃であろうか(もはや覚えていないだけ)・・・。 私の記憶が確かならば(ふるー)、赤城温泉についたのは午前1時半である。 辺りはもう真っ暗(当たり前)で外はとても寒かったのでこれ以上標高を上げることに断念し、本日は赤城温泉にて泊まることにした。とはいえ温泉宿に泊まるわけではなく、車中泊である。 しかもトイレの横の特等席。近くの温泉宿を見つつ今日はここに眠ることにした。ZZZ...

5月2日

  温泉宿の朝は早い。 もちろんうちらが早いわけではない。そこに泊まっている、おじさま・おばさま、が、である。 寝ているうちからドアの閉まる音が響きわたる。 といってももう8時半そろそろ起きる時間である。 今日登る山はご存じ赤城山。標高1828m、標高差450mである。 ので時間はあまりかからないし〜ということで遅めのスタートである。 冬になると大沼での公魚釣りが有名ですね。氷に穴を開けて釣る奴ですよ。 と蘊蓄はこの辺にして、まだ赤城温泉にいる・・・。ここからまだ山道を行くことになる。(道中略)。やっとこさビジターセンター辺りの駐車場に到着。バイクのツーリングの人がたむろっている。とりあえずここで朝ご飯を食べることにした。 同時に自販機でコーンスープを購入し、一時の暖を取った。

  車を登山口近くに移動。途中、赤城山神社のところの橋が赤く映えていた。さぁ準備万端。いよいよ登山である。最初はちょっときつめの登りだったが、昨日の疲れもあまりなく快調にとばす。ちょっといったら緩くなった。この辺りからは大沼がよく見える。ただ同時に車の音やバイクの音もよく聞こえる。ちょっといくと猫岩という名の岩があるはずだったが、どの辺が猫かよくわからない・・・。だいたいそんな岩どれだかわからねぇよ〜と思いつつ進もうとすると、老人(70は過ぎてたね)が「なんで猫岩って言うかわかるかね?」(こんな言い方はしていなかったと思うが、こんな感じ)って聞かれたので、さっきの通り、きっぱりと、「わかりま千円」(グルグルより引用)と答えた。するとどうやら教えてくれるらしいので、しばらく一緒に登ることにする。というかすごいねぇ、70過ぎても山登るんだね。ペースは遅いけど、元気元気。TVのCMの大車輪爺さんに勝るとも劣らない感じやね。とそうこうしているうちにやはり疲れたらしく、途中ヒントをくれた。「杖を持っていると猫岩の意味がわからないよ」(こんな言い方は・・・略)とのこと。うっちゃんは杖持ってなかったけど、うちの右手には昨日、那須で拾った枝の杖が握られていた。結構いい感じの杖でなかなかお気に入りだった。話が逸れてしまった・・・。 この辺りになると再び傾斜はきつくなってきた。手をつきながら山道を登る。そうここで老人が休むらしく、答えを教えてくれた。 「傾斜が急だと岩を両手で撫でるようにして登っていく(要は手をついて登る)から、猫を撫でるようなということで猫岩という。」(こ・・・略)。なんか思いっきり嘘っぽいけど、猫岩辺りで全然その所以もわからなかったし、こういう話の方が面白そうなのでこの話を信じることとした。

   老人を置いていきしばらくすると(30分ぐらいかな)頂上についた。この辺りはまだ森林限界を超えておらず。木が生い茂っている。 頂上についてはみたものの、辺り一面小学生が・・・そこでご飯を食べている。 昼ご飯を食べるところを探すが見あたらず。頂上から少しもどり神社のところで お昼ご飯を食べることにした。お昼ご飯を食べ終わり、さっきの小学生集団に吸収されないように早めに出ようとした矢先、見事に同時に出発することに・・・。ということで吸収されました。 ただ誤算はここだけじゃなかった。 小学生の元気なこと元気なこと。うちなんかより全然早いし、元気である。 うはぁ、小学生はぇーと思いながらもマイペースでくだる。 駒ヶ岳頂上で小学生軍団とおさらばし、そこからひたすらくだるくだる。 登る時より下るときのほうが長く感じるのはなんでだろぉー。とネタを披露している場合ではなく、途中鉄の階段があったりしたが、なんてこともなく、そのまま大沼まで降りてきた。さすがに昨日も山登りしているので疲れたっす。

  とりあえず赤城山神社にお詣りすることにする。さっきの赤い橋を渡り、途中鯉とか小魚をみながら渡りきる。しかし、手には木の枝(杖)を持ちながらの参拝。ちょっと恥ずかしい。それはおいといて、参拝をすまし、おみくじを引く。結構好きなんだよねおみくじ引くの・・・。おみくじの結果は中吉だったかな?手元にないのでわからないっす。 ということで神社から駐車場に戻り、土産物屋でお土産を買い、帰路につく。とても整備された道だった。とりあえず汗を流そうと温泉を探していたらいきなり見つけました、富士見温泉見晴らしの湯「ふれあい館」 3時間で500円とはいいんでない?ということで温泉に入りました。 ゆっくり温泉につかり、出たあとはやっぱり牛乳一本ぐぐっと・・・。ゴクゴク。温泉を満喫しました。そのあとコンビニに寄り、前橋市街に到着。 ここから高速で東京に帰りました。

  GWにまたも2山制覇。といってもそんなには標高差がないところではあったが・・・。今年の山始めは、那須と赤城でした。久々に竜と再会し、なかなか楽しい山登りでした。おっと言い忘れた。さっきの杖どうなったかって?それは車の中に置き去りにして、うっちゃんの家の屋上に立てられているそうだ。さぁてと今年の山登りはどうなっていくのか?続きは富士山編2で・・・。(BY越前守)

おしまい

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